近代都市論とはいかにも面白い分野也。

―改めて言うけどね、都市とは空間なんだよ。そこに生きるすべての人間がある種のアトモスフィアを共有するための一時的で恒久的な空間。それはわれわれがつくり出すものだし、われわれをつくり出すものでもあるんだ。この街のイルミネーションを見てごらん。これは我々が飾りつけたものだけれど、我々はこれをみることで街が意図するところに意識が向き、そしてさらにこの空間を一定方向に導いていく。こうして我々の街がつくられるんだ。お互いに影響し合い、干渉し合い、つくりかえていく。そう、都市は空間という物質的なものであると同時に、我々と共に時を経ていく生き物なんだ。自立的に生きるもの。ま、生物の定義は今のところ極限的には「自己繁殖が出来るもの」とするという見方があるんだけれどね。こう定義してしまうと都市は生き物じゃないんだけど、まあ、それは今はいいや。そんな理系じみた話はやめよう。ここはもっと文系的に、概念的にいこうじゃあないか。都市は生きている、という話だったね。すると、その生命はどこにあるのかな?僕はこう考えるね、マンション、アパート、オフィスビル、ステーションタワー、そこらじゅうにある都市の空へとせり出した体毛の一つ一つに輝く窓や、そこらじゅうを這う都市の道路という骨格の傍らでぼんやりとたたずむ街灯とかの明かりじゃないかなって。体内を動き回る人のもつ電子機器の明かりや車のヘッドライトなんかもそうかな。つまりはさ、原始的な闇を、何もかもを眠りにつかせるニュクスのケープに覆い尽くされた夜の帳を払いのける文明の明かりってことさ。そう、文明こそが都市の命だと、僕は思うね。うーん、ちょっと独りよがりかな。ああ、あと、話をはしょりすぎたね。ごめんよ。さっきお風呂の中でシンセサイズな音楽を聴きながら『モダン都市東京―日本の一九二〇年代 (中公文庫)』を読んでたら言いたくなってね。うっとおしいだろうけど、許しておくれ。まあ、海野弘の都市論でも読んでくれよ。ずっと面白いことが書いてあるから。あと、東大教授がどっかのポータルサイトで連載してる都市論が面白いから、探してみて。残念ながらどこにあるかがまったくわからなくなってしまっているんだけどね。また自分でも探してみるつもりだよ。あの人の東京都庁の話が面白くてね。やっぱ都庁はバベルの塔だよ、というお話さ。あれ、違ったかな。まあいいや。「東京=記号」という話もいつかしたいなあと思ってるんだけど、やっぱり独りよがりでそしてありきたりな話しか出来ないから別にいいかな。なんだか気持ち悪い感じだけど、クリスマスの満月が作り出した狂気のひとつだとも思ってくれれば大目に見れるんじゃないかと思うよ。