なんかいろいろ

うぅたをわーすれたぁかぁなりあはぁって、歌いたくなるくらい書くことを忘れてて、閏年じゃなかったらもう今日で二月も終わりじゃん。

それで二月の風に当てなきゃってことで、またまた例年のごとく滑り込みでおひな様を飾る。
娘の初節句に家へ来たおひな様も見た目は変わらなくても、なんとなく貫禄がついてきた気がする。娘と同じように年を重ねて来てるわけだから、初々しいというか、新しい感じではなく、落ち着いてどっしりそこにいる風に感じるのも当たり前かもしれない。
それに、最近お嬢様の縁談でってな勧誘電話が増えてきたのもそんなお年頃って事なのだろうな。

この辺りでは孫の初節句は実家が用意するって風習なので、ウチにあるおひな様も鎧甲も母親が用意してくれたものではある。
なにやら歯に物が挟まったような物言いなのは、その当時の母親はウツ状態でとてもお店で一緒に選んでなんてことが出来なかったから、まだ元気だった義母と一緒に選んで母親にお金だけ出してもらった。
そうしないと嫁としてとてもとても居心地が悪かったから。
なのに鎧甲の時には義母はもう余命幾ばくもない状態だったので、おやじと二人で決めてきて、やっぱりお代だけは出してもらった。義母は息子の初節句のお祝いの柏餅が最後に口にしたものになってしまったのだったなぁ。なんて事をちょっと思い出している。

いろいろ面倒だった母親はこれからますます面倒がかかるようになるらしい。
去年の夏頃に脳のMRIを撮った以降、どんどん物忘れが酷くなっていくので今月の頭にもう一度写真を撮ってみましょうということで撮った結果が、海馬がえらく縮んでいるんで、もうそろそろグループホームとか(認知症の人たちが介護されながら共同生活を送るようなところ)へという時期ですねっ事だった。
私としてはさっさとどこかの施設へ入所させたいのだけれど、普通に申し込んだら特養とかそういった施設は数百人待ちの状態が殆どで、それを調べた昨日なんかはちょっとお先真っ暗って気分になった。
ま、お金をかければ入所できるところもあるのだけれど、母親は年金暮らしで余裕があるわけでもないし、私たちはまだまだそこまで負担できないし。
で、戸籍上も夫婦なはずのおじいはおじいで母親のことなんぞはすっかり頭にない様子だし。なんだかなぁだけど、なんだけど、それほど悲痛な気持ちではなくて、なんとかなるやろなぁって気分でいられるのは、たまりまくったスマ番組をみてきゃはきゃはしてるからなのであります。

母親が始末できないようになってしまったせいで、いろんな物が所狭しととっちらかってる実家で妹と片付けをしてウチへ戻ってきた時には、やっぱりウチにも何年か越しに積んだままのスマ雑誌があるわけで。
ああぁ。もう買うのはやめよう。忘れてしまってもいいから雑誌はもっともっと厳選して買うことにしよう。物を増やすのももっともっと慎重に考えてからにしようって思ったのであります。

そのうえ身体にも重みが貯まって鏡の中のほっぺをみて驚いた。なんだこのおてもやんは!
肩やら腰やら膝やらあちこちの筋やらが痛くて動かないし、申告準備もしててずっとPC前にいたりしたからかしら、指までふっくりしてきたのが分かるのがすっごいいやだ。
申告もやっと私の手を離れたし、そろそろ暖かくなってきそうで痛みもすこし薄らいできたからぼちぼち身体をスッキリさせたいなぁと思っておるのであります。

私はこうやって簡単に育ってしまうのに、野菜というのはこんなに育たないものかと初めて知った今年の冬。
退院してきてから半年もたたないうちに、畑にはなんの興味も無い人になってしまっていたので、冬の前にプランターに大根の種を蒔いた。
で、やっとここまでなった大根。

たくさん間引いて残った成育中の大根

植木鉢に蒔いたにんじんを間引いたやつ

にんじんは葉っぱも食べてみたけどあんまり味がしなかった。
大根はおろして天つゆにいれた。
こっちはほどよく甘くて大根辛くて美味しかったねぇ。

夏辺りは私が手を出すとおじいが手を引いてしまうといけないと思って遠慮していたけれど、今年はもうちっとなんぞか植えてみようって思っているところであります。

久しぶりにこうして打ってみましたら、なんとまぁミスタッチの多いことと言ったらやんなりました。
ほとんど喋らないのでトイレで志ん生落語の文庫を声に出して読んでみたりしてましたが、艶話が終わってしまったので新しい物を入れようと思っています。
どこまでが分かっているのかが分からない肉親と半日でも付き合っていると、仲が良くなかっただけにとても気持ちが澱みます、が、スマアルバムを聴いたら(booを選んでみました)、気持ちも元気になったのでした。

寒すぎて身体もこころもコッチコチ そろそろゆるみはじめてもいい頃ね だす。