いろいろ

今年もあと20日だよ。なんか長かったような短かったような喜怒哀楽の激しい年でありました。

気づけばこの誕生日で義母の亡くなった年を越えました。なんと早くに逝ってしまったのでしょうと驚きます。
今の私の方が子供っぽい様な気もします。今の世の中で私だけが飛び抜けて幼く感じるというわけでは無く、世の中全体に幼いのだろうと思うのです。
だから、これでいいのだということで、また新しく年だけ過ぎていくんであります。

ごろさんもまた一つ新しい年になったし、来年はみんなで今年よりも幸せになろうって風に動くといいと思います。

この頃、去年のいいとも特大号やら年頭のさんたくやらを編集しておるのですが、全く記憶に無い部分があるんで不思議なのです。
で、思い出しました。
おじいがとんでもないことになっていたから、ちゃんとTVを見てなかったんでありました。
そのおじいも退院後はすっかりお酒を飲まないでいるおかげと、離脱せん妄の治療をして処方して頂いたお薬を飲み続けているおかげで、すいぶん穏やかに暮らす事が出来ているのです。
私とは会話をしませんが(私がそう仕向けたってことと、その方が楽ちんだっておじいも気づいたから)、おやじとはそれまでとは比べものにならないくらい会話をしていて、いい感じの親子になっていて、私も幾分気が楽になっていていい調子ではあります。

いい調子ではありますが、なんというかやっぱりずぅんと重いものが乗っかってる気分の毎日でもあります。

おじいが”おれにまかせとけ。これからは安心だ”とか何とか言って私の母と夫婦になってしまったのに、今ではすっかり無関係になってしまっていて、ついに呆け始めた(認知症って診断されてやっとそうだよねって安心もしているところ)母親は、本当に一人きりで暮らしているんで、それもずぅんの原因でもあるわけであります。

ただ、こっちは自分でもこの先は施設へ入った方が安心だと言っているので、出来るだけ早くにそういった目途が立つようにと、介護認定の区分申請やら、老健の予約やらにたどり着けるようにと動いているところであります。
これまでの疎遠ぶりとうって変わって、母親と関わる時間がとっても増えているのです。
まともな人だと思って付き合うととてもとても腹が立って疲れてしまうので、すこーーしさめた目で諦め気分で付き合っているんであります。


最近は月曜の朝起きる時に、あーあまた一週間が始まるって、”憂鬱な月曜日”ってのがよく分かるんです。

なので、それから逃れられるチャンスがあるんだったら絶対に乗ろうってことで、週末にあかさかへ行くつもりでおりましたんですが、オープン間もない週末に、私の滞在予定ではお店の中へ入れる可能性が殆ど無いらしいので、今週末に再チャレンジの心づもりでおります。


きっとかなえられると信じております。
だって、すっかり隠れたお月様が光をすっかり取り戻すのをちゃんと見届けて、煌々と輝くお月様の光を浴びたのだから。なんてね、乙女でもいいじゃんって気分になった夜なのでありました。