7円で

今月に入ってから今まで疎遠にしてきた母のしっぺ返しかってくらい(大袈裟だけど)病院通いの付き添いをしている。
いやにはっきり自信満々に物忘れをしたり妄想話するんで、ここ20年くらい症状の出てなかったウツと加えて痴呆が現れてきたんかと、名古屋に住んでる妹と二人で付き添ってメンタルやら脳外科やら神経内科やらメンタルやらの診察を週一のペースで受けている。

なかなか一度ですっと理解してもらえない家族関係を、過去からずっと話さなきゃいけないので、いつも初診で1時間はかかってしまっている。今日なんかは途中で食事休憩を入れてもらって、認知症のテストが終わるまでに3時間はみっちりかかってしまった。
各科の初診医に必ず何度も”んんんん?”って聞き返されるってのも、そろそろ慣れてきた。
でもやっぱり病院を出る頃には気持ちも体もぐったりする。

母を送り届けてから今夜の献立の当てもないままスーパーへ買い物に行った。
一回りして献立も決まり精算のレジに並んで計算をしてもらう。

半端なのが7円。財布を見ると6円しかないように見えた。
”ああ、残念。6円しか・・・・あ、あった7円”ってお金を出したら、レジのおばさん(私よりちょい年上な感じ)が、
”よかったね。いいことありますように。”って、声をかけてくださった。

とっさにそんなすてきな言葉をかけられるって、なんていい人なんだろうって、ぐったり気分が一気にやんわり気分になったのでした。

母親の付き添い通院はまだまだ続くけど、その間に今までの事なんかもいろいろ整理されて、私の気持ちがさっぱり再構築されていくのかもしれないなあと、つきそいが面倒なだけではない心持ちでもあったりする。

それと比べると、おじいとの付き合いは、それほど面倒でもないのに随分と気が滅入ってくるのが正直なところ。

今日の夕刊の小川洋子さんの記事で、老犬の看護とういうか付き合いの疲労の中で、

なぜ私はラブが死ぬことばかり考えるのだろうか。ラブが死ねば夜泣きから解放されるからか?つまり自分は・・・・・・。ここまで考えて私は激しく首を横に振った。「いいや、違う」と何度も自分に言い聞かせた。犬をかわいがって、愛して、慈しんで、、一日でも長く一緒にいられるよう、ただそれだけを心の底から願うことが出来ればいいのに、残念ながら人生はそう単純にできていない。・・ちょっと略・・・スナフキンが・・・「生きるってことは、平和なものじゃないんですよ」と言っている。

って、ことを思ったと書いてあるんで、ああ、私の中に湧いてくる気持ちも、あってもいいんだと思えて、おやじにも言えないことだけど(犬と一緒かどうかはおいといて)もっていてもいいんだって思えたのもいいことだった かな。



と、ここへ記してみて、いいことあったんだなぁって、水が涸れかけてるひび割れた心が潤されていくのを感じてる夜なのでありました。