認めたくないけど

だったか、受け入れたくないけど、受け入れなきゃいけないんでしょうね、と被災された方がインタビューに答えていらっしゃった。

地震が起こる前に、思ってたことは、家族に病人が出たり、悩ましいことがあった人に、”それが耐えられて出来る人だからだよ。だから大丈夫。”言ってたけど、実際自分のところで呆けじいさんを抱える事になった時に、今まで友人たちに言ってきたことは、随分無神経だったなぁって反省したりしてた。
だって、私は全然出来る人じゃないから、逃げたくて仕方なかったもん。ここから逃げ出さなくて済んでるのは、おじいの状態がとてもいいからで、やっぱり私にも出来る様子になっていてくれてるんだと思う。
大変な時には話を聞いてくれる人がいるだけで、とてもとても気持ちが楽になるってのも実感した。


で、地震が起こってからは、NHKしか見ていない。
ちょっとだけ民放にチャンネルを合わせた時に、人が流れています!だの言ってるし、流されてる映像も放映しちゃうし、津波の翌日のひどい時にそれをものすごく近くまで行って取材して映し出してるし、そんなものぜんぜっん見たくない。

そん時にNHKの映像は遠くからの映像しか流してなかったけど、津波の脅威も災害のひどさも伝わってきた。
数日経った後に、被災地の映像を流した時も、悲惨な映像が映りそうになった時には(それは見ていてあっ!って思ったから)、その先は違う場面に変わっていた。
被災された方へのインタビューは、その方の気持ちに寄り添っていることも伝わってきていた。でなかったらあんなに落ち着いた話し方や表情は出来なかったのだと思う。

とっても危ない状態らしい原発の報道でも、解説委員の水野さんの言葉には信頼がもてる。

報道ってのは無神経に人の気持ちをささくれさせることもあるけど、伝える、安心させる、助けるって重要な役割を果たしてるんだなぁと思ったりした。


私に出来ることはわずかばかりの募金だけだ。電気もちゃんと通っているので、ネットから赤十字にちょっとだけ募金をした。

詐欺に引っかかったと思えばもっとたくさん出来るかもしれないけど、なかなかそこまで思い切れないので、ほんとにほんのちょっとだけ。

どうかどうかもうこれ以上悲惨なことが起こりませんように。
どうかどうかもうこれ以上悲しむ人が増えませんように。

こころからお祈りするものであります。