笑えるかな

日曜の深夜に起こったこと。
おじいが動けなくなって会話もままならなくなって救急搬送後入院となる。
そのときは、肝硬変に伴う食道静脈瘤の破裂が疑われるので(検査や点滴挿入を暴れて拒むのではっきり診断をつけられないから疑い)、一晩側に付いていてしかも付き添いの人は寝入らないようにして下さいっていうので、一緒に来たおやじを帰して(夜遅くまでの送迎付きのお仕事に障りがあってはいけないから)私はおじいを見ながらパイプいすに座って時々目をつむりながら決して寝入らないようにして朝まで過ごした。
月曜の夜は義妹がお泊まりしてくれるので家へ戻って眠り、また翌日午前中はおやじ、午後からは私、途中家へ戻ってる間は義妹、深夜にまた病院へ戻る。を二晩。
その間、ほとんど寝られない状態だった。それは二晩泊まってくれた義妹も同じようにほとんど寝られないでいた。
水曜の朝、おやじと交代して家へ戻り3時間ぐっと寝ようとアラームをかけて寝るが、1時間半ほどで目が覚める。
もう少し寝ようと目をつむるけど、それほど眠くない気がしてきた。
そうだ、夕べのぷっを見よう。

笑った。声を出して笑った。

ああ、私、笑うことをこの二日間忘れていた。
忘れていたっていうことに気づいた。


日付が前後してしまってるかもしれないけど、朝だったかのニュースでイラクでつらい思いをしている子供たちに笑って欲しくて落語を聞かせるってのやっていた。
そこでどうしても笑わない子供が一人いて、そんなことは今までどんな国へ行ってもなかったことだから、どうしてもあの子に笑って欲しいと思う。
今回はダメだったけど、もう一度絶対にイラクへいって笑わなかった子を笑わせるつもりでいるって言ってた。

その子は笑うことを忘れたっていうより、忘れてしまっていることに気づけない時間がとてもとても長いんだろうなぁって、たった二日三日の間だけでも、あはって声を出して笑うってことを忘れてることにも気づかないでいた私と比べて、その子の抱えてるものがとってもとっても辛くて苦しいことなんだろうなぁ、なんて思った。

そんなんで冬期講習に突入してしまったおやじは病院へ行ったり、先生のお話を聞いたり全く出来ないでいる。
つまり、入院先から転院したり、そこでいろんな話をしたり先生や看護婦さんの話を聞いたりするのは、全部私と義妹だ。

そこでどうしても事の深刻さの感じ方のずれがある。
今は小さなずれかもしれないけど、この先どんどんそれが広がっていったら、私は笑顔を忘れないでいられるだろうか。

今夜はそんなことを一人の家で思ってる。

ちょっと暗い寂しい夜 足下でゆったりのびて寝ているねこがいる それでなごんで暖かい そんな夜。