すぐほろり

最近、なんでこんなことでじわじわなみだが出てくるんだろう。
ま、チケット確認電話の・・・第一希望での当選です。で、いちいち泣けるのは仕方ない。当たり前だ。
チケットの封筒が届いて席を確認して泣けるのも当たり前だ。
アルバムを口ずさんでライブ会場を想像してじわじわするのも、まぁ分かる。

昨日の原爆慰霊祭のドームを見ただけでじわじわとか、黙祷中の鐘の音にじわじわとか、前はそんな事なかったのになぁと思う。

で、今朝。甲子園の開会式のでっかい高校球児たちがすっごくぱきぱき行進したり、出場選手が一斉に外野から内野へ行進する上空からの映像でじわじわしたり、なんで泣いてんだろう私。

でも自分で考えた選手宣誓はどうにもおしりがむずがゆくなって落ち着いて座ってられないから、そん時にはチャンネルを変えた。

ラジオで聞いちゃったけど、やっぱりチャンネル代えてよかったな。
そんな日。





で、ちょっと文句。なので、



あの、感動を与えたいって言葉が嫌いなの。
感動って与えようと思って与えるものなの?
自分たちの勝負にこだわって勝ち進んできてそこにいるんじゃないの?
その真剣な気持ちからのプレーがこちらの気持ちを動かすんじゃないの。
それなのに、笑顔でプレーってそんなつもりでそこに立ってるの?

それでいい宣誓を考えたわねって風に報道するのが嫌なの。


なんでも人から与えてもらったり、気持ちを人になんとかしてもらうってのが当たり前って風潮(か?)が、すっごく気持ち悪い。

勇気をもらいましたねってのも嫌い。
勇気は自分の中で自分が奮い立たせるものじゃないの?
人からもらうものなの?

オリンピックでもなにやら選手権大会でもワールドカップでも、
どこでもだれでも感動をありがとうって、そんないい方が嫌なの。

まず自分たちの気持ちでプレーしてるはずでしょ。だから勝負に負けたり、演技を失敗しちゃうと、人前だろうとインタビュー中だろうと嗚咽しちゃうくらい泣けちゃうんでしょ。

いつでも人に褒められるようにいなきゃいけないようなそんな人たちをたっくさん作ろうとしてるような、そんな風なのがすっごく嫌。

あれ、この先も変わらんのだろうかねぇ。

んー、言いたいことをちゃんと人に伝えるって難しいなぁ。
ちゃんと文字でも伝えられるようになりたいなぁ。だす。