ちと薄いね

数量限定のすまドリンクを買ってきた。
なんとも愛着の湧かないラベルで、飲み終わったらいつものペットボトルのように、ぺりぺりとフィルムを剥いて捨ててしまいそうだ、私、と思った。
飲んでみたら、まずくはないけど美味しいねってこともなく、うっすいdakaraみたいだわね、なんてね。
エヴリデイ ラブ トモロウ ってのも、意味がよくわからんのですけど。
ま、ライブが楽しけりゃエヴィリシングオッケーなのであります。






で、ここからは家族の記録として。




妹と母親の訳のわからなさについて話をする。
結局自分しか大事じゃないんだよ、あの人はっていう私の言葉で妹は自己愛・・・・・(家族以外の人の目に触れてもいいのはこのくらいかなあ、なので・・・で)ってのを見つけてきた。

そこで私もぐってみたら、世の中にたくさんの自己愛さんたちがいて、その周りの人たちがずいぶん苦しい思いをされているというのを初めて知った。
今はどんな症状にも病名がついたり、なんとか症候群といってしまって、かえって障害を笠に着ているのがどうにも納得がいかないので、・・・・・っってところは、母親はボーダーなのかもしれないけど、自分が育ってきたのを思い出せば、
わがままだ、自分勝手だ、まったくどうしてこんな子になったんだろうねえと、さるページに記されている言葉は、いつもいつも小学生以降の私の側にいたことを思うと、なるほど母親は自己愛・・・・・の近くにいる人なんだと初めて認識した。


そこで気になるのは子供たち(娘の方が強く)のことだ。
そんな母親に育てられた子供は、その子供にも同じことをするってある。

私は小学生中学年頃から、とにかく母親に反抗して、自分が母になった時には、自分がされたこのことだけは絶対にするまいと強く思った事が何個かあった。忘れてしまわないように、母親にされる度にそう思った。
そのうちの数個はしてしまっているかも知れないが、出来るだけは回避してきたつもりだ。

でも、ここ二日ばかり・・・・・のHPをいろいろ読んで、今振り返ってみれば、やっぱり同じようなことをしてしまっていたのかと思える節もある。
もしも娘の心に(息子にも)何か大きな傷を負わせてしまっていたのなら、なんとしてもそれをしてしまった以前に戻ってやり直したいと強く思う。
でももうそれは取り返せない。


ただ、私の母親とは決定的に違うところがある。
私は娘も息子もとてもとても大事に思っている。
私が経験した辛い出来事には絶対あわせたくないと思っている。
とにかく子供たちには心も体も元気で幸せな日々を送って欲しいと願っている。それが私の何かと引き替えならば、そんなことで子供たちが幸せな生活を送れるのならばなんの惜しいことはない。


そして子供たちへの気持ちはおやじも同じだと思う。


昨日からそんなことをいろいろ思ったりしている。

ここへこうして残してしまうのもどうしようかと思ったけれど、子供たちに直接話す機会もなかなかないんで、いつか何かの折りに子供たちに伝えられたらいいかなぁ、なんて思ったんでありました。