通じない言葉

徹子の部屋できんだいちさんが”言葉で考える”ってことをおっしゃっていた。
高校生の頃少しドロップアウトしかけた時に、自分には本があって本当によかった。言葉を知らないと考えることも何も出来ないから。
今そんな状況にいる人に言葉の大切さを分かって欲しいとかなんとか。
悩みを解決出来るのも言葉で考えてそれを行動できるからとかなんとか。

徹子さんは本当にとおっしゃって、聾唖者とのかかわりの中ですごく実感したことがあって、聞こえない人は何も分からないから分からないことも知らないって。
だから学習は早いほうがいいんだって。

コミュニケーションの道具としての言葉はちゃんと使えるようにするべきだって話を、うすらぼんやりした頭で聞いていた。

聞いて、昨日のものすごく空しい時間を思った。

普段ほとんど母親と接触をしない私だけど、どうしてもしなきゃいけないことになって、妹夫婦と私たち夫婦と母親の言いたいことを聞くという時間を持った。

自分の親ながら人の話を一切受け付けず自分の気持ちだけを押し通そうと懸命な姿が憐れで。
もしかしたら精神を病んでいるのかもしれないと思えるほどだ。

言葉は本当に大事だ。使い方も大事だ。それを使うう心はもっともっと大事で慈愛がないといけないなぁ、なんて思ったのでした。