若者たち

先週半ばから娘が京都と行ったり来たりで、部屋の荷物を引っ越しさせる。
私もそれと卒業式見学のため、行ったり来たり。

昨日の学位授与式に振り袖を着たいという娘の付き添いって理由づけで京都のお泊まりをし、それで私もとりあえずの区切りとした。

学部の卒業とは違い、セレモニーというよりただただ学位を授与されるのを見ている1時間あまり。
あいにくの雨模様であるという天気予報が外れることを祈っていたが、それは叶わず朝から京都の町はしょぼしょぼと湿っていた。
成人式の時に私のを仕立て直しした振り袖姿の娘は、さすがに二十歳の時とは印象が違って、ずいぶん大人びていた。当たり前だが、確実に4年の月日が過ぎてきて、風格が出てるっちゃ、ちと親ばかであろうか。

娘と一緒にいる時間はほとんどなかったけど、たまたま一緒にいる時に、サークル仲間やらクラスの友人やら高校からの友人たちと会うことが出来た。
今までになく”母です。”なんて、笑顔で紹介なんかされちゃうと嬉しくって、私も同じ友人みたいに若やいだ気分になっていた。

その後娘は、授与式の会場になっていたみやこめっせかっら研究室に移動して部屋へ戻るのはずいぶん後になるというので、私は一人でなんにもない部屋で休憩する。

夕飯をどうするか。
そだ。娘がお世話になった極近くのおうしょうでまちてん(最近ずいぶんたくさんTVに出てた人)へお礼にいこ、って出かけた。
注文はやっぱり餃子とビール。おばさん一人ってのは珍しいみたいなので、ご主人が気にして声をかけて下さった。
”娘が今日卒業式なんで・・・”といってみる。その息子さんも学部は違えど同じ卒業式なんで、何となくだれの母親かがぼんやり頭に浮かんだ様子が分かる。
少し会話した後、”天津飯の娘”の母であると分かっていただけた。
娘の話やら息子さんの話やら親ってのの話やらをして、ちゃんとお世話になったお礼を言う事が出来た。

8時過ぎにやっと娘が部屋へ戻る。着物をたたんで持って帰るために待っていたのだから、さっさと荷造りをして部屋を出る。
なんとなれば、娘の部屋へサークルの仲間が集まるから。
もう最後だから、お名残惜しいけどなんて感傷もないまま宅急便とキャリーバッグをもてあまし気味の二人の前に怪訝な顔つきの若者が立っている。
ありゃとお互いを認める。
ここでも、”母です”と紹介されて嬉しいと思うまもなく、大きな段ボールを持ってくれた。
近くのコンビニへ着くと、またもや若者と挨拶をする。ここでも”母です”と紹介されてる内に、またひとり若者が着いた。やっぱり”母です。”と紹介された。

ああ、こうやってこんな仲間たちとここですごしてきたんだなぁ、良い関係でつきあえてるようで嬉しいなぁって気持ちで娘と別れた。

何を話したって訳じゃないけど、若者たちは明日に向かってるって感じた。
若いっていいなぁ、希望があるじゃん。

昨日娘の部屋に集まった仲間たちは、もう今までのように一緒にいられない。
でも、別れを惜しむだけでなく、それぞれが新しい生活を始めるお互いを思い合うっていうか、そんな若者たちだったような気がする。

娘の6年間に及ぶ京都での学生生活もこれで終わり。

4月からはお仕事をする人になる。
できれば、赴任先は京都か大阪が良いなぁ。そしたら、また何か理由を付けて出かけられるから。

迷惑だろうがなんだろうが、たまにはそうやってこの家から出たいのこころなのであります。