書けない

舞台の感想が書けない。言葉が出てこない。

それでも、無理矢理の覚え書き。
カーテンコールが終わってすぐに思ったこと。
井上はもう枯渇してるんじゃないか。
台本が出来上がって初めて通し稽古をしたのが初日の二日前だそうで。
きっとどうあがいてもこれだけのものしか出来上がらなかったんだろうな、なんて私は思えた。
大きなネタバレを読まずにはいたが、舞台の感触なんぞは概ね評判もよく、大いに笑えて泣ける舞台だったというので、それを期待していったのに、腹から笑えないし感情を揺さぶられることもなく、んーーーー、なんだろうこの言葉の上滑り具合はと、台詞に関しては不満足であった。
井上と言えば、吉里吉里じんを読み、天保12年の舞台を見たくらいしかお付き合いはない私がえらそうに言うのもなんだけど、(あ、頭痛肩こり・・も読んだかな)言葉遣いの巧みさには信頼を置いていたので、それが感じられなくてがっかりしたんでね。

にながわさんが力業で、楽しめる作品に仕上げたんかな。
藤原のかわええこと、かわええこと。
一階席の一番後ろだったが、背筋のピンと通った藤原がかっこええんだ。
いつもは、相手役の目線に合わせるせいか、どうしても腰から体半分を折って前のめりでの姿勢がほとんどだけど、相手が自分よりほんのちょい背のたかいおぐりん(なんて言うか?)と言うこともあって、すっと背筋をのばしたままでいるので、台詞をはくというわざとらしさが薄れていて、ほんとにかっこよかった。
むさしとこじろうの台詞が、聞き取りにくいことがあるのがちと残念だけど、あんちゃんを含め後のベテランの方々は、とてもとても素敵でありました。

つまりは、ホンはイマイチな感じだけど、役者さんたちはどなたもどなたもみんなみんな素敵でかっこよく、カーテンコールでは大きな大きな拍手をして来ましたのであります。


で、翌日曜の夜、一休みをした息子と私は野方周辺でもんじゃ焼きなどを食べ、去年二人でいったここへもう一度。
息子は去年私と行った後一人で行き、その後ひょんなご縁でサックスを譲っていただくことになったり、なんというかご縁の繋がる場所になっているらしい。
なんの下調べもせずに扉を開いたら、中はほぼ満員。
マスター(でいいのかな)は息子と顔見知りらしく、いわゆるスマコンで言う見切れ席が空いてるからと中へ促され、なぜか握手を求められ、私もそれが嬉しくて、息子がお世話になっているようでの気持ちを込め、戸惑いながら握手をして演奏が始まっている中で席に着いた。

もうもうちょー楽しい。22日のこの日のオルガンもギターもドラムもすっごい優しくて楽しくて、ちょーきもちいー!!

一番すみっこの私の席から見えるドラムの人がね、その前の夜、舞台ではつらつとしていたおぐりんによっく似てて、おしっ!ってパフォーマンスの時の笑顔がすっごいかわいくて、ギターの音が真綿のように柔らかく優しくて、オルガンの人の指使いがもうめっちゃすごくて、ほんとに楽しかった。

そういえば、ちょっと前にすっごくがっかりした六本木での出来事なんて、すっかり忘れていて。
やっぱり大吉じゃんってね。

演奏が終わって、マスターと話しをしたらば、
”息子くん、上手になってますよ。”と言ってくださる。
”また、セッションにおいで。”とも。
私の知らない息子がいるらしい。


ああ、息子は東京で一人、ちゃんと居場所を作り、認めてもらえる存在になっているのだなぁと、しみじみ嬉しく、独り立ちしていく息子にほんのり寂しさを感じた。

娘も息子も私とおやじの子供だ。
でももう 
それぞれがひとりで立てる それを喜べる私が嬉しいとほんのり寂しい だす。