なに変化?

保存用の冷蔵庫の野菜室で半年以上生協から届いた袋のままになっていたジャガイモの様子を見てみたのが先週。
あはははは。もやしのような根がたっくさん生えていて、本体がしわしわになっていた。
このまま生ゴミかというのを、思い直してなんとか食べようと、皮だけむいて保存袋に入れてそれを冷蔵庫に入れておいた。水につけておいた方がいいかなぁとも思ったけど、量が多くて場所を取りそうだからやめたのが失敗だったね。
何となく予想は付いたけど、翌日みてみると、まっくろくろになってしまっている。醤油で色をつければ食べられるだろうと煮っ転がしにしてみた。
食卓にのせても、おじいの箸が進まない。そりゃそうだよな。いくら醤油味にしたところで、まっくろくろが隠れるほど醤油で味付けをしては辛すぎて食べられないんで、そこそこの味付けにしたら、まっくろくろは隠れない。
これはまた何かに変化させようと、鍋のまま保存用の冷蔵庫に一晩おいておいた。

で今夕、鍋ごと暖めながら芋をマッシャーでつぶし、シーチキンとホールコーンとモーニングのゆで卵を加えて(さらに長芋の煮たののほんの少し残りも加えて)コロッケにした。
まっくろくろは見えなくなったし、それほど変な味もしないので、まあジャガイモの復活は成功といえよう。

その後気になったのが、残ったパン粉の多さだ。そのまま生ゴミかというのを、なんとか食べられる方法はないかと考えてみた。
ん!!
小さな卵焼き用のフライパンに揚げ油の残りを少し入れる。
そこへ残ったパン粉を入れごく弱火にしてじっくり焼く。
トーストのような香ばしい匂いがしてきた。そのままカリカリするくらいまでじっくりじっくり火を入れる。
冷蔵庫の中で残っていた生クリームのパックの口を開け、卵を一ついれてまぜまぜまぜまぜ。
コーンの残りもそこへ入れてまぜまぜまぜまぜ。
カリカリになったパン粉のところへ、卵コーン混ぜ生クリームをざっと入れる。
やっぱり弱火でじっくりじっくり火を入れながら、フチの焼けてきたところをゆっくり真ん中の方の生の方へまぜまぜまぜまぜ。
五ぶくらい火が入ったようすなので、そのままゆっくり弱火で焼く。
その間、茶碗を洗っていたら、なんかとっても懐かしい匂いがしてきた。
なんだろうなぁ懐かしいこの匂い・・・・。
ああ、小さい頃食べたことのあるパンがゆのような匂いだ。
いつ頃食べたってはっきり覚えてないけど、確かに子供の頃かいだことのある匂いだ。
匂いと一緒に、その頃母親が浮かんできた。
今でこそ、母親の身勝手ぶりに腹が立っている母娘関係だが、その頃は確かに母親だった。
大事に育ててもらったんだなぁと、懐かしい匂いと供に実家の台所がよみがえってきた。


夕方、息子から電話が入る。
去年同じクラスだった同県出身の同級生が白血病で亡くなったと連絡が入ったから、明日のお通夜明後日の告別式に参列するために一晩だけ帰って来るという。

パンがゆの匂いがよみがえらせた家族の記憶と、二十歳そこそこの子供を亡くしてしまってどんな気持ちでいらっしゃるんだろうというおやごさんを思う気持ちとが入り交じって、すぽっと何かに見えない穴に嵌ってしまったような何とも言えない気持ちになった。

結局、パンがゆの匂いは、フレンチトーストの匂いになり、食べてみればフレンチトーストコーン入りのようである。


しぼんだじゃがいもを救わなければ、パンがゆの匂いまで来なかったわけで、なんというか不思議な時間の流れの中にいた啓蟄の夜なのであった。

さぁいよいよいろいろ蠢く春なのだ いろんな思いは時間が流していってくれるはず。
生きてるだけで それだけでえらいんだよ といつかみんなで語った事を思い出す 過ぎた時間もえらいよね です。