一年ぶり

明日は久しぶりの友人たちにあうんだ。
去年とんでもない醜態をさらしたのと同じ短大時代の箏曲部の仲間6人での逢瀬だ。
去年はひとり更年期の症状がひどいんでやむなく欠席だったので、2年ぶりに6人がそろう事になる。

おやじは昨日辺りから戦々恐々としている。また名古屋までオオトラを回収しにいくハメになるじゃないかって。私だってあんな事はもう二度とごめんだ、と心に決めている、いるにはいるが、そりゃふたあけてみないとわかんない・・よな。
あれだけのことしちゃうとさ、もう矢でも鉄砲でも持ってこいって気になるのは自然の流れってもんで。

いや、私だってあの悪夢を再び味わうのはまっぴらごめんって気持ちは大いに持っている。
なので、明日は無事自分の足でちゃんと電車に乗って帰ってくる! と今何かに誓うのである。


ただ、大人ってもんは、いろんな事を許せる人だと思うんで、おやじが大人でいてくれるといいなぁと心の隅でこっそり思うものである。


を、ドラマを見ながら打っていたんだけど、今度のホンはいい!
くどかんも大人になったんだなぁと思う。
人情の機微をなかなか上手く今風に現していていい。やっぱり人も物も年月を重ねていくと渋い味が出てくるもんだ。

若いくてアオイといろんなものに突っかかったり、わけもなく自分の尺度だけで人に文句をつけたりしがちだけど、50年ほど生きてるといろんな事に鷹揚になっていくんだと最近は思う。
瞬間湯沸かし器のように、ボッと火がつきまくってた私も、最近はたまに点火不良のことがあったりするのは人間がすこし古くなってきてるのかなぁと思ったりする。

青臭いと渋いはなかなか上手く折り合えないかも知れない。青い柿が赤く熟すには時間がかかるんで、それまで待てないのは枝から落ちていくわけで、何が言いたかってぇと、大人になるのにはそれ相当の時間が必要なんだし、青い柿が存在感を現すのなら、それをみながら熟すまで放っておくしかないんじゃないかなって思うんであります。へんなたとえ話ですみません。ただいま極小トラであります。