夏が始まる。

バーゲン行きました。予定金額をほとんど使ってしまったのでもう買えないのが悲しい。
トップス3枚とショートパンツ2枚と着ないだろうけど欲しかったワンピース1枚とキャミ1枚と。後はサンダルが欲しい。
どうも去年からの傾向かもしれないんですが、ここに来て服の趣味が変わりつつあります。高校以降23区とかアンタイトルとか地味色かっちり系をずっと好んで着てきたんですが、最近そろそろ明るい下世話な柄を切れるのも短いかも知れんと思うようになり、また、二十歳もだいぶ過ぎていろんなことがどうでも良くなりつつあるので、肌見せとか正直許容できるようになりつつあるのでだんだん派手思考になってきてます。
ということでひざ上20センチくらいのショートパンツデビューします。デビューって恥ずかしいな。
まだちょっと太ももふくらはぎとか二の腕とかはぷくぷくしてるんですが、2年前の悪夢を思うと大分細いと思うので着るなら今のうちってことで。夏は待ってくれない。
そんな気分なのにライブがないってさびしいですね・・・・。


で、全然関係ないのですが、メモ代わりに。水道橋博士が昔webダヴィンチで書いてたやつの引用の引用。

これは僕が常日頃、抱く思いと、全く持って共通する。
この世界に入ってから、俺より下の世代の芸人のたけしイズムの解釈が“嘲笑”でしかないことを何度も戸惑ったし、ビートたけしの逆説が分らない若者の多さには本気で呆れている。
それはサブカルチャー論にも共通する。
いつの間にか、サブがメインにあり、カウンターで発言すべきサブカルチャーが正論の如く流通している。
昨今の太田光が、実にお笑いにあるまじき、まともな正論をぶつ論客となっているのも、本来のメインカルチャーの方が脆弱すぎて、立ち居地としては、正論をぶつ方が、むしろ異端であり、カウンターであるからだろう。

本来新聞に対するカンウンターカルチャーである小説やテレビ、漫画などがどんどんメインカルチャー化してその中でもへんに序列が加わり、どんどん変遷していることへの違和感がずっとあるんですが、そんなんを思ってる人の意見を活字(ってパソコンの画面で見てる文字も活字なんでしょうか)でみるのは初めてだからメモ。
まあ個人的にはそのコラムが載ってるダヴィンチこそそういうねじれ(だと私は思ってるけど)を作り出す船頭の一人なきもしてるんですけどね。そういった矛盾が世の中には多いなあ。