あっという間の

義母の20年祭に無理矢理予定を合わせて帰省した子ども達はあっという間にそれぞれの場所へ戻っていった。
時間を惜しむようにそれぞれの友人たちと会ったりと忙しそうだった子ども達だったけど、昨日は実家へ帰ってきたねぇって過ごし方をして夕食後二人一緒に電車に乗っていった。

昨日の午後は三輪車に乗る私と一緒に娘も自転車でスーパーまでお買い物。まだまだ危なっかしい私の後ろへ回ったり横へきたりと見てくれるのだが、その時の注意が厳しい厳しい。すぐに止まったり降りたがったり惰性でペダルを漕がなかったりする私に、とにかくペダルを漕げ、漕ぐんだ、漕げ漕げと容赦ないのだ。
「きびしーよー!」って泣き言を言ってみたら、
「私はそうやって育てられたんだよ。わかるでしょ、どんだけ苦しいか。」とか返された。
ぐう。

そんな厳しい指導(いささか大袈裟ではあるが)を受けたお陰で、今日また少し進歩したようだ。
止まる時はちゃんと片足をついて(三輪車なのでブレーキをかければ座ったままでいられる)、もう片方はすぐにこぎ出せるようにペダルに足をそえて、すいすい走れるところはとにかく漕げ漕げ漕ぐんだって独り言いいながら、娘の忠告を忠実に守って走ってきた。
のたのた移動するじゃなくて、少し走ってきたって言えちゃうくらい。や、まだ違うか。

指導はちっと厳しいって感じるくらいの方がちゃんと身になっていくって事だよ、か?

祖霊祭(というらしい。今初めて知った)は、もの凄いよっぱらいおじいの一人舞台であったが、集まった皆がそれぞれに楽しんだようすでまずます。長男の嫁って位置にいることが、嫌だー!って気持ちになった時もあったけれど、今日になってしまえばもうどうでもいいやって気にもなる。

還暦からもう10数年経ってしまったおじいは、酔うとものすごく子どもになっている。自分が歌いたくって仕方なくなり中高生の孫が歌ってるカラオケのマイクの線を抜いちゃうなんざ、ほんと子どもだよ。
で、やっぱりその時の記憶は全く無いらしいんだ。

その席参加してくださったおばさんにその話をしたら、そんなことまでしてたのは知らなかったが、よっぱらいっちゃそんなもんだと達観した意見を拝聴してきた。
んーー。どうなるかわかんない先の事は心配しても仕方ないので、あんまりぐだぐだ考えないようにしておきます。

ま、私までオオトラなってしまうって事態が避けられただけよかったじゃんね。