考えること

市内に映画館がないので、映画を見に行くってことも、そうそう簡単にはいかない。名古屋へ出るにしても一番近くのシネコンに行くにしても、上映時間に往復の移動時間を足さなきゃいけない。うんとこしょって気合いを入れなきゃいけないが、へろを定価で見る気はしないのでレディースデー狙いで行こうと思うと、ますます出かけるチャンスが減る。
今週はおやじとおちょぼいなり(商売繁盛の御利益を受けに)へ行ったし、来週は検診の結果を聞きにいくことになってる。
映画は簡単に見られないけど、録画した舞台中継も普段はなかなか見られない。おやじが一日中塾にいる土曜日は、邪魔されずに一気に見られるチャンスの日だ。不思議と塾への連絡電話もほとんどかからないのが土曜日なのだ。

で、のだまっぷの『キル』を観た。
オイルもロープもなんだか難しくてわかりにくかった。のだひできの頭の中はきっと理路整然としていて、あれこれを繋げてこれが言いたいんだよが数式のように舞台上に表現されているのかもしれないけど、私の持っている知恵と知識では難解パズルのように思えて、舞台を見終えても、ジクソーパズルの完成を諦めて散らばったバラバラのパズルをただ見つめてるってな印象だった。
でも、今日みた『キル』は9割方出来上がったパズルのように思えた。最初、キルはkillだと思ってた。違った。キルは切るで着るだった。布を切って制服を着る人を増やして征服することを思い、それは間違っていて、きるはみんなが生きるにつながるんだって事だった。

どんな演目の舞台をしても、のだひできの言いたいことは、首尾一貫しているんだろうと思う。舞台を観てると、ここまでは説明してあげるけどさ、もうわかるでしょ、俺の言いたいこと、それとさ自分で考えてさ自分の生き方を考えろよって言われてる突き放し方がなんだか東大っぽいなぁって感じる。頭いい人ってさ、頭悪い人の物事の理解できなさ具合が全然わからないんだよなぁってロープの脚本を読んだ時に思った。それはおやじの言動からも感じることがある。

と、ここまで書いてきて、ほろ酔いになってきた。もう私の知能ではこれ以上の思考は無理だ。

って、ことで、キルはなかなか面白い舞台だったってことと、ふかっちゃんもつつみさんもふるたあらたもとってもいい役者さんで、これは劇場で観たかったなぁって思ったことと、こんなにちゃんした演技の出来るつつみさんがきむらさんやつよしのことを褒めてくれちゃうのは何でなんだろうって、とっても不思議に思ったって事が、今日の言いたかった事なのだった。

演じる人の 素敵具合はその後ろの 見えないものの大きさかな ってこと? 


あぁあ よっぱあたまの かなしさよってトコだな。