別れどき

消しゴムを最後まで使うぞ、と決意して、長さが1cmくらいになっても使い続けて、落としてしまっても学校の教室の床を探して見つけて、最後の姿が見えなくなるまで消しゴムを使いきった事がある中学生の頃。
普段は何でもおおざっぱでいい加減で物事のツメも甘い私だが、こんな事をしたこともあった。それっきりそんなことはしてないけど。

先週から使い続けている小さなヘチマたわし。使っている内にどんどん小さくしょぼくしぼんできて、今は指先でつまんだらとても小さな椿の葉くらいのぺらっぺらの木っ端のようになってしまった。とてもつまみにくいし、食器を洗いにくいのだけれど、まだまだ捨てられない。このままいつまで使い続けられるのか、ヘチマたわしと根比べだ。もう抓めなくなるくらいまで使ってやろうと思っている。
小さくても汚れ落としの能力は落ちていない。食器洗いスポンジとしての能力は、たいそう高いものだと驚いている。だからなおさら指でつまめる内に捨ててしまうのは、ヘチマたわしに負けるみたいで悔しいって気持もあるんだ。お互い(?)納得してさよなら言えるのはいつなんだろうな。


とんでもない酩酊状態の時に出来てた左肘のかすり傷に、かさぶたが出来てそれが知らない内に剥がれて、傷としてはほとんど治りかけている。すこしずつ、かすり傷とは別れられるが、こころに付いた忘れちゃいけない傷とはさよならしないようにしておこうと思うほろ酔いの夜。はは、飲むのは止められません。


今では珍しくなってしまった串に3個のたこ焼きをさして売ってるお店。ミッションスクールに通っていた私たちが教会の日曜教室*1に集まって、礼拝後に川をはさんで向かい側にあるそのお店でたこやきとかみたらしとかみそおでん(一年中お鍋で土手と一緒に煮ていた)を食べたりするのが楽しかった中学生の頃。
それ以前からずっとそこのおじさんおばさんは変わりなく何十年と、たこ焼き、みたらし、五平もちを焼いていた。
が、さよならは突然だった。
定休日以外はいつもちゃんとお店が開いていたので、全然気にしないで前を素通りしていたようだった。
なんと、私たち(私とおやじね)の気づかない内に、店じまいをしていた。
噂では、おじさんかおばさんのどちらかが体調を崩して、お店を開けられなくなってやめてしまった、ということらしい。


突然のさよならは 実感がなくて 受け入れがたい  だよ。

また一つ 瀬戸市民の自慢がなくなってしまった。さみしいなぁ・・・・

*1:日曜に教会へ行かなきゃいけないから私たちの学校は土曜日が休みだった。だから月曜の朝に日曜礼拝への出欠を取られた