機械人形は人間になることを夢見るか。

ワイアードニュースのこんな記事がありました。
人間の筋肉と骨格をモデルにしたロボットアーム
筋肉を模した空気のチューブが人間の骨にそっくりな金属でとめてある「Airic's_arm」というドイツの空圧機器メーカーが開発したロボットアーム。記事に張ってあるリンク先で動く様子も見れます。
もうね、気持ち悪いですよ。滑らか過ぎて。動作がゆっくりなのが逆に機械っぽくなくて気持ち悪い。
機械にこれが出来てしまうのか、という感じです。
なんか力の強さが制御できなさそうな様子ですが、それこそ機械が持つ非人間性なきがしてやーです。
たぶんもうC3POは出来ますね。あの人間じみたAIはまだまだ無理でしょうけど。
さて、空気圧で動くロボットといえば「学天則」が思い起こされます。
学天則についてはこちらを御参照いただくと良いのですが、簡単に紹介しますと、日本人の西村博士が作り出した東洋(日本?)初の人間を模したロボット=人造人間で、1982年京都で紹介され、観客はその動きの人間らしさに度肝を抜かれたそう。そして、その動力は空気の膨圧だったそうです。
荒俣弘の小説『帝都物語』(私が学天則を知ったのはこの小説によるのですが)ではそこに人間らしい一面を与えられていますが、そこに機械と人間の違いとその曖昧さへの恐怖が述べられています。
また、小説つながりなのですが、リラダンの『未来のイヴ』には理想の女性として人間の美しさをもつ作られたロボットのことが延々と述べられています。このロボットは天才技術士エヂソンにより完成され、ヴィーナスのように美しく、聖母のように素晴しく従順な性格を持つ、まさに未来のイヴとなります。そして、人間の美しき外見と醜き内面の乖離を嘆く若き美青年の手へとゆだねられますが、一緒に暮らそうとアメリカから故郷イギリスへと青年と共に海を渡っている最中に嵐にまきこまれ海の底へと沈んでしまいます。
さらに、『未来のイヴ』つながりですが、押井守はこの作品に強く影響を受けたのか、この作品中の文章を多く引用している映画『イノセンス』をつくっています。これも機械と人間の境界線が曖昧な作品ですね。機械の体に人間の精神。それは果たして人間なのか、と。
ちなみに、この学天則が行方不明になったのがドイツ、そしてこのロボットアームが作られたのもドイツだそうです。単なる偶然でしょうが少々面白いですね。


機械はどこまで人間に近づくのでしょうか。
機械と人間のそれぞれの領域の間には漸近線が存在するのでしょうか。
科学って素晴らしい。