ある言葉があるという妄想。

妄執という言葉があると思い込んでたのですが、ふと思い立ち調べたところ、そんな言葉はないと広辞苑(私の電子辞書)は言いました。
しかし、その後goo辞書(三省堂)で調べたところありました。じゃああるのか。
ふと思ったのですが、たとえ辞書のような(権威ある)明確な定義づけがない言葉が発せられたとき、いつからそれは意味を持つ言葉として存在することになるのでしょうか。
例えば、友達とのしりとりの途中、言葉に詰まって「り、り、・・りづくし!」と叫んでもアウトです。「いや、だから、りづくしってのは利益尽くしの意味だよ。うに尽くし丼とかと一緒だって。」と必死に解説したところで無駄でしょう。そんなんだめと言われて、「じゃあ、もいっかいはじめからー。しりとりのりー」とか言われてしまうはずです。
でも、日々言葉は生まれています。きもいとかは最近の言葉ですね。これはいつ言葉として成り立ったのでしょうか。ATOKで変換できるようになった時でしょうか。東京の女子高生全般が言うようになった時でしょうか。いつなんでしょう。
私一人が言っているだけでは認めてくれない。たぶんひとつのクラスが言っている程度でも他クラスの子から見ればそれは言葉ではない。ひとつの学校で言われていても他の学校から見ればなんじゃそりゃです。ひとつの地域くらいでしょうかね。
でもそれでは方言ですかね。うちの地元ではサークルKのことをマルケイといっている人もいるのですがこれは単なる地方言葉にしか思えません。なんというか全国区ではないという気がします。
一方、東京ではビックカメラをビッカメと略すそうですが(私の友人談)これはどうなんでしょう。なんか東京で言われてるならそうなんかな、という気もします。
あれですか、東京で流行ればいいのかな。そうすれば言葉になるのかな。うーむ。
いつになったら言葉は言葉になるのでしょうか。ひとつ自立した言葉に。