思惑通り?

先日の日記でゆとった教育の果てを心配するってことを書いた。
”怒号の中の強行採決”ってそれは圧倒的過半数を占めてるよ党ならば、去年のむりやり選挙を思えば、容易に想像が出来る。
あんなに大勝ちをさせてしまったのは誰?
小学校で生活科*1などが出来た頃から、小学校ではゆとり始め、個性を尊重するとかいって、自由と自分勝手をはき違えた父母と教師が目立つようになってきた。個性が大事なくせに順位をつけることはいけないと言って、運動会から徒競走が消えたのもこの時だ(今は復活してるらしい)。
学校を休むってことにとても罪悪感を持っていた私たちの子供時代。学校へ行くのが当たり前だった。
今は、家族でスキーに行きます。ディズニーランドへ行きます。海外旅行へ行ってきます。と、平気で学校を休んでいる。
生活科が出来た頃、小学生だった世代が今20代後半だ。
勉強したことが大人になって何の役に立つかっていえば、それは分からない。因数分解が今の私に必要かと言えば、それは必要ないと思う。
でも勉強ってそんな小さな事ではないはずだ。

あれ?何が言いたいのかわからんくなってきたぞ。

やっぱり遠大な計画だったんじゃないかって事だ。あまり物事を考えなくても小・中・高を過ごせるように指導して、そんな大人をたくさん作って将棋の駒のようにしたかった誰かがいるんじゃないか。
あれこれの規制や規則の中で、理不尽さを味わって初めて自分の考えを確立していくんじゃないだろうか?

踏まれなきゃ跳ね返そうとは思わないもんな。

と、ほろ酔い頭で思った事でした。

*1:小1・2の理科・社会の教科を統合して生活科とした