音の記憶

平日の午前中に、私たち夫婦は二人で喫茶店モーニングコーヒー*1を飲む。
木曜日は頼んである一週間分の週刊誌をいつもの本屋さんへ取りに行く日になっている。木曜日はいつもの歩いていける距離にある喫茶店ではなく、本屋さんの近くにあるファミレスで一服してから本屋さんへ向かうという行動パターンが出来ている。
さあ、そろそろ本屋さんへと立ち上がってレジへ向かう途中で、私たちよりちょっと上の年頃のおじさん二人とすれ違った。ん?なんかどこかで会った事がある気がすると、振り返り、思い出すと同時くらいに「あ、回転木馬のおじさん。」と私は声を出してしまった。
すると、そのおじさんも振り返り、私と少し先に歩いていってレジで会計をしているおやじとふたりをそれぞれ確認するかのようにまじまじと見ながら、遠い記憶を呼び起こしたように、「ああ!」と仰った。
そのまま、会話を交わすことなく、おじさんたちは席へ、私たちはお店の外へ出た。


「お前よく思い出したな。」とおやじが不思議そうに言う。私も顔だけではどこの誰だったか思い出しはしなかったかもしれない。すれ違った時に聞こえてきたおじさんの話し声が、20年以上前の記憶を蘇らせたのだ。

私たちは18歳の年の夏からつきあい始めた*2。車の免許を取ってからはほとんど毎日のように二人で車に乗って出かけていた(京都にいたおやじがこっちへ帰ってきた時にね)。
ジャズのレコードを掛けながら、サイフォンでいれたコーヒーを、ミントンとか(だったかなぁ)ナルミのボーンチャイナカップで飲ませてくれた、市内で唯一と言っていいくらいの珍しいおしゃれな喫茶店が、回転木馬というお店だった。カフェオレを初めて飲んだのもここだったし、生クリームの添えられたココアを美味しいなぁと思ったのもこのお店だったような気がする(あれ?生クリームあったかなぁ。でもとても美味しかったので冬はよくホットココアを飲んでいた)。
25歳の年に結婚するまで、私たちはとてもよくこのお店で時間を過ごした。私たちが結婚する前だか後だったか覚えていないが、そのおじさんがマスターではなくなって当時よくお店に来ていた若い男の子がマスターになって少し足が遠のき*3、、その後しばらくして、お店の名前もマスターも変わってしまって、上品だった雰囲気が一気に失せてしまって、私たちもそのお店へ行かなくなってしまった。

すれ違った瞬間に聞こえた声で、一気に30年近く前に気持ちがタイムスリップするなんて事は経験した事がなかった。
おじさんはどういう風に私たちを思いだしてくれたんだろう。

ああ、あの時の二人はずっと一緒にいるんだ、やっぱりねって思ったんだろうか。
なんだか、ほわぁっと透明な明るい空気に包まれた一瞬だった。
お店を出た時の私たちは、30年くらい前の当時の二人になっていたかもしれない(あ、気持ちだけね)。


こんな事、娘に話した事なかったよね。ちと恥ずかしいな。

*1:おやじは、コーヒー好きの義母にコーヒーを飲ませないまま亡くなられてしまってからコーヒーは飲まなくなったから紅茶を飲む

*2:ここらあたりでは定番のT生とK生のカップ

*3:結婚してからはおやじと二人で喫茶店どころか、出かけるのはほとんど義母と3人で、義妹が仕事が休みの日は4人でという生活に豹変したから