ギフトボックスが開くよ

いよいよ明日メンバーからの愛がたっくさん詰まったギフトボックスが開封されるのだわ。
その場にはいないけど今からなんだかわくわくわくわくしているんです。
自力ではムリだったけどちょっとしたご縁で大阪土日には参加出来るんで、来月早々には私にも娘にギフトが届くんです。

GW以来会ってない娘に会えるってのも私にはとっても嬉しいギフトであります。
息子は先週末に山ほどの洗濯物とぽんぽんに腫れた右足首と歯痛と一緒に帰って来て二晩家でゆっくりして、日曜の夜に東京へ戻って行きました。
社会人2年生なのに、家にいるとやっぱり子供で、いくつになっても子供は子供って実感したんであります。
だから、戻って行った月曜なんぞは高校卒業して送り出したときのように寂しくなっておりました。

痴呆の進んだ母親とは今は殆ど会話しないし、困った訴え電話もかかってこなくなったし、事務手続きでホームへ行ったときに顔を合わせる程度にして、さっさとその場から離れたい気持ちで帰って来てしまうんだけど、今の母親はどんな風に感じてるんだろうなぁなんて思ったりしたんであります。

痴呆の人にありがちな被害妄想も酷いので、そんなときはどんな対応しても私では落ち着かせるのは無理だけど、先日行ったときには落ち着いた様子で笑顔も出ていたんで、仲悪い母でもなんだか少しは嬉しい気持ちにもなったりするんです。

あずまやーずの人のツイに『傾聴』のボランティアを始めたってあったけど、身内では会話の中でもいろんな過去の感情が湧いてきてただ話を聴くってのはとてもとても困難な事のように思えるのです。それは私と母親の関係に限定されてるわけではなく、母親のお世話になってるホームの看護師の方も自分の母親は看れませんっておっしゃっていらしたし。だから、そういった専門の方々にお世話になるのは、当人にとっても幸せな事なのだと思うのです。

ホームの施設長さんも8月頭の家族会で、施設に入れてしまった罪悪感がぬぐえないって家族の方に”絶対にそんな気持ちはもたれなくていいんですよ。落ち着いて生活できることがご本人にとってもいいことなのだから”っておっしゃっていた。

私があんなとこへ押し込んだから母親がかわいそうだ!って私を責めまくる妹との関係がこじれてしまってるのも、そこここで同じ話があるのだと、人生の先輩方の言葉で気持ちが楽になるし、そんな方々に声をかけてもらえるのもありがたい事なのです。ほんと、遠くて何もしない人ほど文句を言うんだよってのがお決まりだそうです。

ま、そんなこんなもギフトボックスからどんどん楽しいものが出てくれば、一気にテンチョモなんであります。


なんもかんもにありがとーーー!な気持ちを書いておこうかなな、蝉時雨を浴びながらの処暑前日でした。


そうそうギフトを下さる5人にはおっきなクマさんがくっついてるだろうけど、だいじょうぶよーあんたたちは出来る子たちだからね、どんなギフトもありがたくいただくからねーーー!
クマさんを代わりに背負ってあげられないけど、受け止めてはあげられるかなねーー。だす。