よかったんだか、なんだか

ずっと何年来おやじが一人で(子供たちが外へ出るまでは子供たちと一緒)日付が変わる頃に行っていた初ゑびすも、ここの所は寄る年波には逆らえず塾が終わってからの参拝はしんどくていけないようになって、昼間の送迎のすきを見つけてお札を貰いに行ったりしていたけど、今年はどうしてもその暇を作ることが出来ないので、私が代わりに行くことになった。

授かって来なきゃいけないのは、お札(おばさんに頼まれた二体と合わせて三体)・神矢・交通安全のお守りを送迎バスを含めて4つ。
すっごい前に一人で出かけた以来なので、駐車場で誘導されて車を停めた先の移動がよく分からないけど、ばらばらと途切れないくらいの人が行き来していて、なんとなく人の方へ歩いて行ったら石段が見えて、どうやらその先にめざす菩提寺があるらしい。ぐってみたらみつかったここ
一体いつ頃積んだんだ?っ思うあちこち段々になったふるーーーーいちょっと傾斜のある石段をえっちらおっちら登りきったら、お堂が見えたんで、列の後ろへついてお賽銭を上げお願い事をして、頼まれたものを求めた。
お札にはタオルがついていて(例年は小さな紅白の鏡餅)、求めたお札分くじを引いてティッシュやらキッチンペーパーやら冷凍パックやらをもらったら、とても持ちきれなくなったのを見かねたお寺の人が、レジ袋を下さった。
そこへ、いただいたものを全部入れて家へ戻ってきた。

さて、家の分とおばさんの分を分けて・・・って、袋を見ると、なんでか神矢が見つからない。
座席の下を覗いても、まったく姿が見えない。
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おかしいなぁ、絶対に袋に入れたはずなのに、なんで車の中に無い!?
困った、こりゃ、もっかい行って求めて来なきゃいかんのかなぁと悩みつつお昼の支度をしたが、やっぱり気になるので、もう一度行くことにした。

午前中の混みようとはうって変わって駐車場もすっきすきの停め放題。またえっちらおっちら登って、お賽銭を上げて、無くしてしまったお詫びと改めての挨拶をして神矢だけを戴いて駐車場へ戻ってみたら、二度目の行きには通らなかった駐車場の境になってる石の上に神矢が置かれてる。

ああああ!これきっと私のだ。車に袋を入れる時に神矢だけするっと落ちたのを、どなたかが拾ってよけておいて下さったに違いない。だって、さっき車を停めたのその辺りだったもん。
でも、新しい神矢を戴いてきてしまった。かといって、このままここへ放置しておくのも罰が当たりそうで怖い。どんど焼きしてたからあそこで燃やしてもらえばいいかもって思い、もっかいえっちらおっちら石段を登って、境内を片付け始めてるはっぴを来てるおじさんに声をかけた。

午前中来たんだけど家へ帰ったら神矢だけ無くって、だからもっかい買ったんだけど、駐車場で置いてあった神矢を拾ったから、どうしたらいいかと思って。焼いてもらった方がいいかなぁ?って聞いたら、
”せっかく手元に戻ってきたんだから、燃やしちゃもったいないよ。二つになったんなら誰かにもらってもらったら?”っておっしゃるので、おばさんに説明して、どっちが落とした神矢かわからないようにシャッフルして一つもらってもらった。
ってことで、三回もふるい石段を登ったのでした。帰りはゆったりスロープの坂道だったからまだ出来たのかも?

私の今年はそんな感じなのかも。おみくじでもあせるな、じっくり待て、そのうち絶対いいことあるからね、みたいなのが続いたから。

で、その翌日。
久しぶりに午前中塾のないおやじとでにーずにモーニングに行ったのよ。しばらく気づかなかったけど私の携帯が無いって気づいたのがお昼過ぎ。電話を鳴らしてもまったく気配がしない。
あれーーーー??なんで、無い。
心当たりがあるとすれば、朝のデニーズだ。携帯出した覚えはないのだが、電話をしてみる。
”はい、ございますよ。”の返事。
あああ。良かった。携帯ないと子供たちとも連絡取りにくいし、お友だちとも連絡取れなくなってしまうし、日曜に天神様への出張のための新幹線の切符を買うのがとても面倒な事になってしまうところだった。
ああ、本当に良かった。


で、今日。
車の時計表示が出なくなってたんで、ディーラーへ電話をしたら、バッテリーの充電が不十分なので差し障りのないところから勝手に電源オフにする機能が働いてると思われるから、ちょっと走って下さい(50キロくらい)って言われた。それか20分くらいエンジンをかけっぱなしにしろという。
ただ走るのもエンジンかけっぱなしももったいなので、なにか用事が無いかなぁと思い巡らせて思いついた。

そうだ ナキを見にいこう。って、お仕事満杯のおやじの了承をもらって、バッテリー充電のためのドライブがてら、映画を見てきたのでした。

見終わって出てきた私たちよりちょっとだけ年上のご夫婦が、いい映画だったねーって、すごく満足そうにしていらしたのが、嬉しかったのでした。


なんだかよくないんだかいいんだか やっぱりいいんだろうなぁ なんて日々でした。