巣立ちが近い

帰省なんて3泊でも長いんじゃないか。なんで帰省しなきゃいけないんだろうってな、娘の文句がいやに引っかかっていて、娘にとって実家っては、それくらい存在なんだなぁと、気持ちがすぅっっと冷めたような風なまま駅まで送っていった。
ひな鳥の羽毛がほとんど飛び立てるくらいに生えそろい、もういつでも巣立っていけれるって、そんな風に京都へ戻っていった娘だった。

一日遅れて息子は東京へ戻っていった。二人とも相変わらず出かけてる時間の方が多かったが、やっぱり一緒にいられるのは嬉しい。

でも今まで通りの親子関係でずっといられるわけではないのだなぁと、いよいよ実感したりして、自分の事を振り返ってみた。

20歳を越えたら、親なんて別にもう必要ないじゃんって、そんな風に私も接していたかもなぁって思い出した。
なんせ、親なんかいつまでもあると思うな、人を頼るな、早く自立しろって母親から言い続けられてきたんで、私がそんな風に接するのは、ある意味思い通りだったんじゃなかろうかと思うが、私は娘にそんなことを言い続けた覚えはないのに、ある程度の年になればやっぱり私がしたようなこと(娘は私ほどひどい扱いをしない)を親になった今されてるんだと気づいたりしたんであります。

去年、短大箏曲部時代の友人たちと高山へ行ったときに、お正月に新しくするようにおわんを5つ買っておいた。
晦日の夜にそれを洗って食器棚へ入れた。
元旦のお雑煮で初めて使ったのだけど、まだ娘は家に戻ってはいなかった。
二日の朝はとろろごはんと決まっているのでおわんの出番はなし。
三日の朝は娘は友人とモーニングなのでなにも食べないで出かけて行った。

家を出る4日の朝は、家に5人揃ってはいるけど食事時間がばらばらで、結局新しく整えたおわんを五つそろえて使うことはなかった。


親子であることには変わりはないけれど、親として世話を焼けるのはいつまでもできることではないんだなぁと(どうやら私たち夫婦は子供の世話を焼きたくて仕方のないタイプらしい)、ぽっかり寂しくなった気分を埋めてくれた生すまだったのでした。

なのに、どうやら一番楽しいところを見られなかった事を今日確認した。

それにしてもだてにすまっぷやってんじゃねーぞ!!のごーごーおっさんすまがかわええやらかっこええやら。ひっさびさにみてて幸せな生すまでありました。あのご婦人の部分はなかったことにして。

何事もやり続けるといつか日の目を見るよって実感できた”でぐち たぐち”。
よかったねーー。どんなにその場の空気をひんやりさせようともやり続けてきて。
まさかこんな風にきむらさんにスポットライトを当ててもらえる日が来るなんて思っても見なかったこの数年間(は大げさか)。
なんちゃってイワン似だった事もある息子、それと雰囲気にてるでぐちたぐちはぼんやり具合も息子と似てるし(親ばかですかしら、ほほっ)、割に気にかけて見てたから、私もすっごく嬉しくなった。


息子の羽が生えそろうまでにはもう少し時間がかかりそうなので、もう少し世話焼きははでいられる。
今度は上手に気持ちを持っていられるようにできるといいなぁなんて思うのであります。