一進一退

薬を飲んでも、すぐにすっきりとはいかないからねと、昨日受診した時にいわれたとおり、今日は鼻水は出るわ咳き込むは頭が痛いは、これで頓服を飲まなくてもいいかと昨夜は思ったのに、今日も頓服をのまなきゃやってらんないよって具合。
全くねぇ、やんなちゃうわ。これも更年期と重なってるからかしら。
薬ってえらいわね。体弱っちゃうとほんと薬のありがたみを実感するね。


でいきなりシタオくん。
エンドロールが終わったと同時にとなりのおばちゃん(わたしよりちょい若)が、なにがなんだか、最後は一体なにが言いたかったのかさっぱりわかんない、と呟いた。
んーー。
キリストの話だよなと最後にはしっくり来ていたんで、”わかりました?”って声をかけられたから”キリストの復活の事だったと思いますよ。”と答えた。

ストーリーに関してはなんの情報も入れずに見たので、木村くんが”無駄に裸になるよね”と言ってたとおりだわと、半分くらいまではシーンを追うだけだった。
なんの繋がりもなさそうな3人が繋がっていってもさっぱり話は見えてこないし、木村くんが痛々しくて苦しかった。
人の痛みを自分に移して相手を助ける事だけし続けてるシタオがキリストなんだろうなぁと、大詰めに来て思えるようになったら、いやにまっすぐな話なんだと気づいた。

キリストのように両手の平に釘を打ち付けられたとき、木村くんは泣きながら『こわい!!!』、『おとーさーーーん!!(台詞はFatherーーーー!)』と叫んだ。
いつから他人の傷を痛みも一緒に請け負ってしまう能力を身につけたのかは映画では判らなかったが、実は死んでしまってるのに、結局は生き返ってしまう、それでまた次々に他人の傷を自分に移して相手を助けていく、苦しくても痛くてもそれを受け入れなきゃいけない怖さが、ただの泣き声で伝わってきた。ああ、こんなに痛くてもまた生き返っちゃうことを受け入れたんだって、声色で伝わった。すごいよ、木村くん。わかったよ、その許し。
あの言葉が映画で一番言いたかった事なのかなぁと思った。

ゴルゴダの丘で十字架にかけられた時、すべての罪を背負ったから、あなた達は許されたのですってイエスが言った、あの話の事なんだろう。
『百万回生きた猫』の詳細は覚えていないけど、死ねないって事はものすごくこわい事って感じたことを思い出していた。
そして、許すって事は、とても大事で苦しくても幸せなことなんだって、改めて思った。
『禅』でも、すべてを受け入れるって事が生きるって事だって言ってたっけ?
だから西も東も洋には関係なく、許して受け入れるってすごいことなんだよって事かなぁ、そんな事が言いたかったんかと、私はそう納得した。
”Fatherーー!”の台詞も、たしかイエスが”我が父 我が父”と叫んでなかったけ?とか、ミッションスクールで学生時代のほとんどを過ごした事が、あの映画をこんな風に思わせたんだろう。


で、聖書と聖書辞典で調べようと思ったのに、体調不良で読む気が起こらなかったんで、検証はまた今度。

でも、なんであの役を木村くんにさせたかったんだろうなぁ。そこだけすっごい不思議。
パンフにはその動機が書いてあったんだろうか?買わずに帰って来ちゃったから、謎のままだわ。

求められればやれる子になってるんだよ、木村くんは。ブレインも求められるものをやってるんだよ。
って、ちょっと買いかぶりすぎかしらね。


そうそう、映画から帰ってきた私におやじがどうだった?と聞くから、よかったよと答えたら、だから、すまファンはダメなんだわという。
あちこちの映画評でけちょんけちょんだったから見に行くまでもないのに、なんで出かけてくんだって風だったから、余計にファン目線にあきれたんだろうけど、ホントに木村くんはよかったんだもん。

やっぱり、買いかぶりすぎかしらね。