つくる人の意思

日本人ピアニストで初の受賞後、帰国してすぐからあちこちの番組で引っ張りだこなご様子の盲目のピアニストさん。
朝のワイドショーで少しだけ音を聞いた。
うん、確かになにか迫ってくるような音だわね、ちゃんと聞いてみたいわと思ってたところへ、とりごえさんが”何度聞いても泣けてくるね”なんてコメントを発した。
とたんに、さっきまで輝いていた音が曇って聞こえてしまった。
これは一度TVでいいからちゃんと聞いてみたいものねってたとこへ、とく だね で生演奏って、おぐらさんがオープニングトークで興奮しているとこへ出くわした。
そのまま、いつものスタジオで演奏がしていただくと紹介していた。
ああ、あんな空間ではあの人の表現したい音がちゃんと出せるのだろうかと心配していたら、案の定あちこちにぶつかりまくったとっちらかった音に聞こえた。
すごく残念。仕方ないだろうけど、別のきちんとした音響設備のあるスタジオで演奏させてあげられなかったんだろうかと、番組スタッフに少し苛ついた。

すると、受賞曲の演奏中にも関わらず、照明をすーーと落としてほんの数秒だけど真っ暗になった。

なんだ!!目の見えない演奏者だから暗くしてもわからないだろうからなんかの映像上の効果を狙ったんだだろうと思ったら、すっごく腹が立って落ち着いて音を楽しめなくなっていた。だいたい最初から薄暗いんだよ。手元だけ明るくしてあるなら気にならないけど、なんかいやな感じだった。

一曲終わった後おぐらがつじいさんに寄っていって話しかける。
まぁその話し方と言ったら、人をバカにするのもいい加減にしろと、私が母親だったら乗り込んでいって(生放送だがらそれは出来ないけど)、きちんと20歳の男の人に接するように話しかけて下さい!!と怒鳴ってしまっているだろう話し方なんだ。
いくら子供が小さいからといって話しかける言葉は幼児語ではなく、私はきちんと普通に話す(瀬戸弁だろうとそれはOK)ようにしてきた。耳から入る言葉は大きくなった時に話す言葉と同じにしたかったから。

それがおぐらは20歳の人相手に、まるで幼児に話しかけるかのようなニュアンスの声を出していた。
そこで、この番組の作り方に腹が立ってチャンネルを変えた。


翌朝、偶然NHKに出演しているつじいさんをみた。
”では演奏を聴いていただきましょう。”と、昨日録画したものですがと、断り入れて放送された曲は、きっとピアノ演奏に向いているスタジオでとったものだろうと思われる。
音がきれいに聞こえる。でも、演奏自体にはそんなに感銘を受けなかった。確かに上手いとは思うし、音符通りに弾けているとは思う。でも、こうなんというか、のだめが曲を勝手に解釈しちゃうような表現力はまだまだこれからの人かなぁと思った。
演奏が終わり生放送に戻ると、アナウンサーはきちんとした話し方で丁寧に質問をしていた。
ほら、番組をつくる人たちの意思でこんなにも違ったものになるじゃん。(だよ。娘。)


その日の午後、偶然バイオリニストの五嶋龍くんの超絶技巧をスタジオパークで聞いた。たぶん同じ年頃のはず。だけど積んできた経験が違うのか、演奏にもそういったもの表れていたように感じた。今日は音の波に気持ちよく漂っているってな感じ?
つじいさんの超絶技巧はすばらしい。でも技巧だけでは人の心は動かない。コンクールではきっと聞いている人たちの心と共鳴するものがあったのだろう。
NHKではただピアノを弾いたって事なのかもしれない。朝早いけど生放送で大勢の人が聞いてるスタジオの方が、観客の気持ちがコンクールに近かったのかもしれない。弾き終わった時に、同じような熱い気持ちで弾けたと思いますとおっしゃっていたから。

だとすれば、そんな気持ちを踏みにじるような番組の作り方をした(と、私だけが怒っているのかもしれない)あの局の体質にまたまた怒りがこみ上げて来ちゃったりする。


まだ、これに続く思いがあるんだけどそれはまた。

そうそう、ローゼン麻生は結構真剣に日本の文化としてのアニメの価値を正当に評価させたいと思ってるかもよ。こことか、こんなかんじで世の中に認知されていったら、日本の大きな財産になっていくのかもしれないなって思うよ。