みてきた

シタオの映画の評判がことごとく悪いので、見に行くのをどうしようかとも思いつつも、木村さんがウジ虫まみれになって頑張ってきたらしい話を聞けばやっぱりその仕事っぷりをちゃんと見届けるのがファンてものだがね、と思い上映スケジュールを調べてみた。

これはおやじは一緒に行かない(見たくないってさ)し、一人だったら朝一じゃなくてもいいから、2回目ので見ようとすると、なんと今日しかない。明日からは上映回数が減らされてて、私の一番都合のいい時間がなくなってるんで、ひとりで気楽に行けるのは今日まで。それに貯まったポイントで見られるので、見るに値しないような映画でもお金がもったいないって事もない。
そんなことをおやじに言ってみた11時頃。不機嫌そうに行ってこやいいがやっていうんで、その言葉にのらんでどうするってことで、急遽な風に行ってきた。

で、スクリーンの木村さんは、きれいだった。
女優だよ、あの人は。そいで求められてるものをちゃんと演じていた。
そうだよ、ちゃんと使う人がいればちゃんと応えられる、そんな人になっていた。
事務所より強い力を持つ現場でなけりゃ木村さんはずっとやっぱりき むたく ねって言われちゃうんだなぁと思いながら帰ってきた。

ネタバレではないけど、これからまっさらで見る人のために(ってこんなとこへ私のお知り合い以外はほとんど来られないんですけど)
毎日の夕刊で”へろ”の時はこんな事書いていた”映画ジャーナリスト 大高宏雄”さんの今日の記事『チャートの裏側』。

きむらたくや は映画好きだそうだ。・・・(すますてで映画についての意外なうんちくぶりを披露したんで)・・映画への関心がかなりのものだというのは認識できた。そのこだわりが、彼の数少ない映画出演に表れている気がした。・・・(シタオが6作目で邦画以外だと2046以来。その間に一分とへろがあるから)彼がいかに注意深く作品を選んでいるのがわかる。・・(でもね興行的には邦画の邦画格段にいいよね。)
 外国映画となると、少し芸術づくというより、独特の世界を描こうとする意識の強い監督の作品に好んで出演するといったほうがいいか。これが本人の思惑を越えて、日本では興行的な限界に直結する。今回の新作も、ちょっと一般的にはわかりづらい作品の形が、明らかに観客を遠ざけてるいる。
 おそらく、海外作品へのこだわりのなかに、国際的な舞台での知名度アップの狙いがあるのだろう。ただ、それはいまのところうまくいっていない。気鋭の監督たちにも、好不調の波が当然ながらある。チャレンジはいいのだが、もう少し作品への目配りが必要だろう。き むたく の飛躍を願うからこそ、海外作品での興行的なブレイクを、私は期待したいのだ。

(かっこは私の要約ね)

脚本書いた人も監督もすごく素直な人だという印象を受けた。描き方には少々ひねくれたとこは有るけど、最初はわけわかんないことでも最後まで見ればちゃんと全部が一つの結末(映画でのね)に繋がっていて、すとんと腑に落ちるようになっていた。

何が何だか判らない。何故、こんな映画を撮るのか。血だらけ、気持ち悪いオブジェ、きむらクンがキリスト? 映画評論家 おすぎ(文春)

一体、おすぎは2時間何を見てたんだろうと不思議でたまらない。こんな記事を書いて平気でいられる映画評論家なんか認めねーぞ!って、ちと怒りが沸いた。

ま、いろんな見方があってもいいんだけど、木村くんはやっぱり結構やる人で、そこにいるべく選ばれた人なんだなぁと思った次第であります。


話は違うけど、日本科学未来館もおもしろいらしいよ。この人がそう言ってる。