思うこと

夕刊に載っていた一面の写真。広告ページとあるがなんの広告かわからない。よく見ると『毎日広告デザイン賞』の最高賞とある。全文掲載はちょっと心配だけど、ここは余り世間の目にとまらないだろうし、営利目的じゃないし、なによりはしょるわけにもいかないので、転載。

ボケないで、若者。
「平和な日本」は当たり前ですか?








私が今まで経験したことで、
もっとも恐ろしかったのは戦争だった。
敵に見つからないよう一週間夜のジャングルを歩いたり、
米軍が撃った弾は未だに手と足に入ったままだ。
米軍の2時間ごとにおこる射撃に耐え、
壕に音も立てることもできずに隠れていたこともあった。
死ぬまで戦えといわれ、いざ撤退の時は歩けない者は捨てられる。
捕虜になる前に自決させられる。
私たち負傷者は夜の密林を一人一人手をつないで歩いた。
食料もなくなり、どうせ死ぬなら
お腹いっぱい水を飲もうと飲んだ夜もあった。
痛みに耐えられず自決した戦友を何人も見た。
こんな状況で死ぬ思いを何度もした私だが、
今一番恐ろしいことはほかにある。
戦争を知らない、知ろうとしない若者がたくさんいることだ。
私の経験が無駄になる前に。
今、平和が当たり前になっているこの日本で、
なにがあったのか知って欲しい。




服部幸利・89歳
第2次大戦中、3分の2以上が戦死した
ガダルカナル島からの生還者

一面のかお写真とこの文字がうたれている広告面。


藤原が出るというので、二夜連続の『東京大空襲』を録画しておいた。
それを今日の午後少しだけ見てみようって見始めたら、途中でやめられなくて1話を全部見た。
(途中塾の電話がかかるがもうだーだー泣いていたので平気を装うのが難しかった)
目の前で火に焼かれていく肉親を助けることも出来ずに泣き叫ぶ事しか出来ない状況であったこと。それだけを描こうとしているようで、それだからか作られたドラマなのにもの凄い勢いでこちらの胸に怒りや悲しみやいろんなものが迫ってきた。

”誰を恨んだらいいの!!”

その空襲では被害者である日本人は、軍人を送り出した家族だ。その軍人である日本人はあちこちの国では加害者になって、被害者を生み出している。

誰に何をいったらこんなばかげたことを止められるの!!


そんな気持ちでいたら、夕刊に上記の記事が載っていた。



慎吾のもごろちゃんのも人の気持ちを弄ぶを通り越して、いたぶっているようにしか私には思えなくて、そんな台詞を書いた脚本家に腹が立って仕方ない。
だれのどんな気持ちをを描きたくてあんなドラマを作ってるんだろう。どうしてあの子たちにこんな人でなしの台詞を言わせるのって、今日もう一度怒れて悲しくなった。他の表現方法がなくて仕方なくのあの設定だとしたら、もうドラマは終末だ。

と思えば、きたさんドラマは、人の情を上手くドラマにしていた。ムカムカイライラではなく、はらはらドキドキで見られた。そして、きっと見ている人の気持ちを裏切らないだろうという具合にドラマがすすんでいった。


これは、歌舞伎や落語や講談を見たり聞いたりしていても同じように湧く感情だ。

すとんと腑に落ちる。


腑に落ちる。合点がいく。その気持ちが同調出来る境目の幅はどのくらいの物事なんだろう。
その幅が広いほど平和に暮らしていかれるだろうか。

もっとちゃんといろんなことをしっていたい ちゃんとって私がちゃんとって思えばいいことなのかな。