またね。

昨日は奈良に遊びに行きました。
サークルの同級生が就職するのでもう遊べないね、ということで私は京都にいるにもかかわらず小学校の修学旅行以来一度も行った事のない、その子の地元である、奈良で遊ぼうということになり、ちょっくら大仏さんを見に行きました。
修学旅行生やら団体旅行のひとやらで人があふれており、鹿もいっぱい。友達曰く「この鹿は絶対やらせやわ。どっかから連れてきたに決まってるわ。普段こんなにおらんもん。」それは違うと思う。
その眼力により日本の仏教支配をさらに確実にしたあのでっかい銅の像。
目の位置に出窓が無くて今はその眼光は外に出ないのでしょうか。
お昼のワイドショーに出ていたイタリアのエクソシストによると今は悪魔の活動が非常に活発らしいので、頑張ってもらいたいとこです。わたしは神道派ですけど。ま、あの大仏は宇佐八幡宮に信託が下って巫女さんが目入れのときに出向いたそうなので、関係は深いんですが。
そうそう、こないだ神社行ったら拍手をせずに頭だけ下げる人が結構いたものの、寺では拍手をたたく人がいないのはちょっと不思議。なぜだ。細木数子のせいか。
そのあと二月堂のほうへ。なんかお水取りっていう行事が行われる日だったらしく、やったら人がいて、深夜の行事にもかかわらずおやつ時に場所取りしている人たちもいてびびる。世の中にはこんな風に私の知らない人の集まる熱気にあふれる行事がいっぱいあるらしい。お水取りは有名らしく、私以外はみんな知っていたけれど。
また、今は廃業した遊園地にも行って見た。夕暮れの黄砂にまみれたピンクのチョーク粉を水に溶かしたような空色を背景にそびえるジェットコースターや時計塔。他人を精一杯楽しませようとする施設は人足が遠のくのに、昔からそこにあるだけで人がひっきりなしに来る建造物。人情とは無常だ。
ファミレスでご飯を食べたあと、京都に帰る。
ひとしきり電車の中で話した後、友達と別れる。
「またね」
もう就職してしまう友達。私たちはまだまだ学校に居残る。今まで何度もとりあえず行ってきた言葉でしたが、こんな状況だとちょっと胸が痛い。その言葉は本当なのか、と思ってしまう。
そんなセンチメントな季節。うそっぽい青春。
私はまた新しい関係が築けるのか。崩れかけたような関係は再構築されるのか。
あと100日もぼんやりと過ぎれば、夏。何もかも融けていく、夏。
外はまだ、冬の後ろ髪がなびいてる。
ああ、春ですね。