知らなかったこと

もう何がどう書いてあったかさっぱり忘れてしまってるけど、夕刊の映画評を見て気になって、つきいちごろちゃんに背中を押されて見てきたぱんずらびりんす。
ちょっと怖いファンタジーアドベンチャーものだと思っていたのに、少し無理して早起きしたおやじと二人で見終わった後、気持も身体も強ばってしまった全然ファンタジーじゃない内容。

終わったすぐから、おやじは「もう絶対ごろちゃんの映画評はしんじんぞ。」と文句たらたら。ま、私も同じように感じたから、黙って言われるままにして置いた。だって、ごろちゃんは”コトイチ。今年一番の映画。もう何も言えないし、言いたくない(家へ帰ってきてから確認してみた)。独特のドクが込められているけど、それの免疫がない人には苦しいかもしれないけど、ぴたりとあう人にはたまらない。あんなラストシーンは初めてだ。10年に一度あるかどうかって映画だね。”って言ってたもん。
PG12ってのも、迷宮の中の冒険画面で残酷なシーンがあるのかな、それだったら暴力シーン、殺し合いシーン、ホラーの嫌いな私でもそれほど目を逸らさずに見られるだろうとたかをくくってた。
内容はここの人のを借用して、書かれてないラストシーンまでを紹介(もうねたばれしてもいいよね)。

思わず長くなったので、
2つ目の試練で失敗したオフィリアは魔法の国へ戻る事ができなくなり、母を亡くした後頼りにしていたメルセデスもゲリラにいる弟と通じていることが大佐にばれた事がきっかけでゲリラに合流する為にオフィリアに別れを告げに来た。
母を亡くして、義父にあたる冷徹な大佐の元から離れたかったオフィリアはメルセデスと一緒に夜中に家を抜け出すも、すぐに見つかって二人とも連れ戻されてしまう。メルセデスは大佐から拷問を受ける際に、いつもエプロンの紐に挟んで置いた小さなナイフで反撃し、山の中のゲリラの元へ。
一人残されたオフィリアの前に、もう二度と会う事はないと言っていたパンが現れて魔法の国へ戻れる最後のチャンスを与えるという。産まれたばかりの弟(母と大佐の子ね)をつれて、迷宮の入り口へ来いと。その赤ちゃんは、自分の息子だけが大事な大佐の部屋に寝かされている。ゲリラの攻撃が始まってる中、弟を抱いて山の中の迷宮の入り口にむかうオフィリア。その後を大佐の部屋から逃げ出す時にオフィリアを見つけた大佐が追う。
オフィリアが迷宮の入り口に着いた時、パンがその入り口を開けるために無垢な血が必要だから、2番目の試練で手に入れたナイフで弟の血を流せという。それを硬く拒むオフィリアと言い合うパン。絶対に弟に傷を付けないと言い張るオフィリアにパンは、”それでは現実にもどるがいい(だったかなぁ。なんかおどしの捨てぜりふっぽかった)”と姿を消してしまった。
オフィリアとパンが言い合ってるところへ大佐が来るが、大佐の目にはパンの姿は見えない(ここがこの映画で初めてファンタジーシーンと現実シーンが同時に存在した瞬間)。オフィリアの後ろから近づく大佐を見て、パンが↑と言い、姿を消してしまい、銃を構える大佐にオフィリアは弟を渡すと、大佐はオフィリアを撃つ。オフィリアの身体から流れる血が、迷宮の入り口=魔法の国の入り口にかかっていく。オフィリアの選択が正しかったから国へ戻れたんだよとパンが宮殿で出迎え、オフィリアは王女さまのように金色の洋服を着ていて、にこやかに迎える父王と母王妃とその胸に抱かれた弟皇子と幸せに暮らしましたって。

って映像とナレーションが入るが、それがラストシーンではなく、赤子を抱いて表へ出た大佐をゲリラが待ち受け、ゲリラが赤子を引き取ったあと、大佐に銃を向ける。
メルセデスは倒れて息絶えているオフィリアを抱く。それを見守るゲリラたち。ってところで終わったと思う。


そのラストシーンで、無事に魔法の国に帰れてよかったねと思おうとする自分に疑問が湧いた。なんか違うんじゃないか?

地下にある魔法の国の王女が地上の世界を見たくて地上の出た瞬間日の光がまぶして自分がどこの誰だか忘れてしまいそのまま地上で死んでしまう。王女の魂がいつか人間の身体に入り王女として国へ帰ってこれるように、王は地上に入り口の目印をつけた。長年人間として暮らした王女が国へ戻れる資格があるのかを試すための試練の冒険の話だと思ってたのに、そのファンタジー場面と交互に挟まれる戦争の場面の残酷さったらとても見ていられなくて、私は何度も目を閉じていた。だいたいその戦争の事もよく知らないので、戦争の現実とオフィリアの夢のような世界との境は私にはよくわからなかった。
だから最後に死んでしまっているオフィリアの冒険の大円段のために、その戦争話を織り込んだんだろうか?いや、そんなフリはどうもおかしいと、一体なんの映画だったんだとわからなくなっていた。

おやじは「スペイン内戦(その戦争はスペインの内戦)を描くんだったら、最初から戦争映画だって言ってくれりゃ見に来なかったのに」といった。なるほど。

「オフィリアのファンタジー場面は全部オフィリアの空想の世界だったんだよ。確かにフランコも酷かったらしいし、内戦はきっとあんなん(交戦後横たわってる兵士に何発も銃を撃ち込んだり拷問の場面は見てられなかった)だっただろうけど、こんな描き方をしなくてもいいんじゃないか。」とか。

私はほとんどスペイン内戦の知識が無い。おやじとの会話で、ゲルニカという単語だけが浮かんできた。
で、ぐぐってみた(私と同程度の知識の方はこちらへこことかこことか)。

私は映画の残虐なシーンを見たくなくて目をつぶった。目を閉じれば見ないですむ。だけど戦時下にある人たちは見たくなくて目を閉じても、一瞬は見ないですむが、目を開ければ見たくない現実とどうしても向き合わなければならない。
オフィリアはそんな見たくないものから目をそらすために空想の世界へ入って行ったんだ。そんなやりきれない映画だったと、私は思った。これはダークファンジーって言うの?ファンタジーってもっとふわふわ幸せな事なんじゃない?ダークでもファンタジーって?


朝一でみる内容じゃなかった。重すぎる。朝一にはやっぱりおばかだねーって笑えるものでないと。

昼過ぎに家へ戻ってから、ずっと考えてしまってる。ファンタジー場面よりずっと長い時間だった現実場面。
でも今記憶の中に残っているのはオフィリアのファンタジーシーンだ。

苦しいばっかじゃないよね 楽しいことがまぶさって 生きること なんだね。

って書きながらうかんだアンネの日記の屋根裏シーン。なんで殺し合うかなぁ。


この映画の監督全然知らない人だけど、スペイン内戦映画だよねやっぱりってこネタかな
しつこいけど映画評これも面白いと思うよ。