実を結ぶ

息子たち夫婦が険悪な状態の時には、おじいはいつも私にとても優しくなる。私たちは落ち着いたんだけど、おじいはそのまま優しいモードを持続していてくれる。
今年はおじいの柿の木になんでかほとんど実がならなかった。それはおじいの柿の木だけじゃなく、この近所の柿の木もほとんど実を結んでいない。渋柿も甘柿もどちらも同じように成らないという。去年はほんとに捨てるほどたわわに実がなったのに、不思議で仕方ないらしい。
「こんなことなーことやになぁ(こんな事ないことだよ)」という。それでもすこしだけ畑の方の木になった渋柿を大事そうに籾殻の海に沈めて、食べ頃になったのを少しずつ大事に食べていたようだった。
その熟した渋柿をおじいが大事そうに胸の前に抱えてるとこへ、嫁の私が出くわしてしまった。
ほいっと私に手渡して、
「こんで、○○川の柿もおしまいや、(これで、畑の柿も終わりだよ)。」と言った。
大事な物を私に分けてくれるおじいの気持ちが身に染みた。嬉しいねぇ。ありがたいねぇ。なんでこれがずっと続かないかなぁ。と、ちと反省モード持続中の嫁なのであった。


去年英語教室に来ていたお子が学校から帰ってくるところへ出会った。
「○○さ(一緒に来ていた友だち)すごいに、今回の英語のテストで93点だったんだよ。」と教えてくれた。
三単現のsのところだったんだという。
去年私はそのお子たちに三単現のsをちゃんと理解して欲しくて、繰り返し工夫をして体と頭の中に入れようと努めた。三単現のsを理解できていると、英語に対して苦手意識を持たずに自信をもって勉強できるだろうし、それは他の教科へも繋がっていくだろうと思っているからだ。
それが実を結んでいたんだと、とても嬉しい気持ちになった。
教えてくれたそのお子は85点だけど、もう一人のおのこは良くなかったらしい(理解力に差があるのは仕方ないこと)。でもきっと私が伝えたかったことはいくらかは残っているだろう。

伝えたいと思うことは、思いっきり伝えないといけないな。

私たちはいちごちゃんとは呼んでもらえたかったけど、愛されてると思っていていいよな。