眠りを妨げるもの

夜中に壁の中をかじるネズミのをコリコリ、ガリガリ、ドサドサって音が、すぅっと眠りが浅くなった時と重なると、少し目が覚めてしまう。その後、すぐに眠れる時と、しばらく時間がかかる時があるが、ネズミを管理することは出来ないので、そんな時はラジオのスイッチを入れ深夜便を聞いたりする。そのうちイヤホンを耳にさしたまま眠ってしまうことも多い。

我が家の近所に自閉症の女の人がいる。実年齢は30代半ばだが、精神年齢は幼稚園くらいの年齢だと思われる。私が嫁に来た頃に、時々外で奇声をあげいているのをみて驚いたが、それほど実害がないのでそのままそれは当たり前に起こる現象だと諦めた。というより、近所の人たちも、ああ、また、と黙認している風だった。
それが、いつの頃からか、奇声をあげるだけでなく、近所の家の壁に石を投げたり、勝手口のアルミサッシの扉がぼこぼこになって、家の中から開かないくらいに蹴ったりするようになった。
それまで黙認してきた近所の人も、我慢仕切れない人は、その人を直接叱ったりした。私も2年くらい前には、トタンの雨戸に石を投げつけたのを追いかけていって(もう何度もぶつけられていた)、腕をつかんで怒ったことがある。
それ以来、私を見ると耳を塞いで逃げるようになった。自分が怒られるような事をしているということは、分かっているからだ。でも、奇声をあげたり、石を投げたり、扉を蹴ったりすることは、してはいけないことだけど、それを我慢をせずに、やりきってしまわないと気持ちが収まらないらしい。
症状がひどくなってからは、平日は障害者施設で暮らし、週末だけ自宅へ戻ってくる生活になっている。

金曜の夜に、奇声(夜の動物園で聞こえる声、猿が興奮してあげるキーキー声ような声)が聞こえると、ああ、帰ってきたのねとすぐに分かる。こちらが起きている時間ならば、五月蠅いけど、我慢することは出来る。
土曜、日曜の早朝、5時前とか6時前の眠っている休日の静かな早朝にその声で眠りを妨げられるのは、とても腹が立つ。
といって、布団から起き出して、怒りにに行くわけにも行かず、結局は近所の皆が我慢することになる。

何かに困っている人に、私で出来ることがあるのなら手助けをしたい、という気持ちは持っているとおもう。ただ、障害なんだから、病気なんだから、その周りの人は何でも我慢をしてくれて当たり前だ、それが福祉だと押しつけられるのは、間違ってるような気がする。


来週から始まる剛のドラマは、自閉症を扱うドラマなのだ。一体どんな風に描いてくれるのだろう。剛はその障害をどう理解して表現するのだろう。

息子が保育園児の頃、その女性は自分と同じくらいの子供だと思うのか、よく家へ「むすこくん」と、遊びに来ていた。私も世の中にはいろんな人がいるから、偏見の目を持たないようにと、息子にその女性に挨拶をさせ、話相手をさせたりしていた。自閉症の人は、自分の思い通りに相手がオウム返しのように返事をしてくれないと気持ちを平常に保てなくなり、一瞬の内に激昂したりする。そんなことまでは私も知らなかった時に、その女性と5歳くらいだった息子と二人きりにさせてしまった事がある。
私は台所で夕食の準備をしていたら、火のついたような息子の泣き声が聞こえて慌てて飛んでいったら、折り畳み傘で息子がばんばん叩かれていた。思わず怒鳴り声をあげて、その女性を追い出した。
翌日障害児保育の経験のある保育園の担任に、どう付き合っていったらいいかを相談した。いけないことをしたら、その場で目を見て思いっきり叱らないといけない、でないと話は通じないから、と教えられた。小さな子供と二人きりにしてはいけない、とも言われた。

その時は傘だったから大事には至らなかったが、後からその時の事を思い返しても、何度も血の気の引くような気持ちになった。息子は自分の身長がその女性に近くなるくらいまでは、その人を見ると怯えて隠れるようになった。18歳になった今はもう平気だろけど。


精神年齢が小さい、純真な子供というだけのドラマにならないようにと願う。

どうにも剛の僕シリーズは私にはすべて受け入れられない。

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