はまる。

突然ですが、最近ずっと東海テレビの昼ドラに一日3回は繰り返してみているくらいどっぷりはまっています。明日が最終回なのが非常に悲しいです。
で、今日読んでいたヘッセのデミアンにあったフレーズがなんだかドラマの内容を思い出させてどきどきしてしまったので意味もなく書き写すことをお許しください。
はっきりとリンクしているわけでは全然ないのですがね。
ちなみにその昼ドラのコンセプトは、
「人生はおとぎ話のように甘くはなく、愛や恋は砂糖菓子のように甘い夢に過ぎない。
信念に従い、資産家の莫大な財産を狙うヒロインとヒーローが、相手の欲望をくすぐり、心を弄び、悪の限りを尽くして危険なゲームを繰り広げます。
愛や正義を正面から謳いあげる作品にも数多くの名作があります。けれども人は、愛は、ときに醜く、卑怯で、過酷な形をしているものです。
信念と愛を天秤に掛けた息詰まる戦いを通じて、心なくしては生きられない人の、決して美しくはない、それでいてどんな美しい花にも負けない愛の物語を目指します」
というものです。公式ページより。
すごい名作だと思ってます。明日の結末が待てません。どきどきです。


では、ヘッセの引用を。
作品中では以下の言葉だけで意味を成しているのではなく、他のところと密接な関わりを持っているのですが、力のある言葉というのは往々にして独り歩きを始めるものなので、これもその一つとして勝手に歩き出していたものを拾い上げてみました。
著作権に引っかかるような気もするので少々怖いですけれど、えいっ

歓喜と戦慄、男と女が混じ、もっとも神聖なものと最もいとわしいものとがもつれ合い、このうえなく柔らかい無邪気さの中に深い罪がけいれんしている―私の愛の幻像はそういうふうだった。(中略)愛はもはや、私がはじめ悩ましく感じたように、動物的に暗い衝動ではなかった。それはまた、私がベアトリーチェ*1のすがたにささげたような、敬虔に精神化された崇拝でもなかった。愛はその両者であり、さらにそれ以上であった。それは天使と悪魔、男と女とを一身に兼ね、人と獣であり、最高の善と極悪であった。


新潮文庫 『デミアン』より


なんかなんとなくリンクしている気がしません?

*1:「私」の以前の意中の女性で「私」にとって清廉さの象徴。「私」が勝手につけたあだ名で、もちろんダンテの永遠の恋人の名から来ている