脱線

ラジオレポをするつもりでPCを立ち上げた。レポする前にちょっとだけ、のつもりで野次馬根性もあり奈良の事件を記事を読みにいつもの掲示版へ行った。
高校生の家庭環境(憶測+推測+少々の事実?)を読んでいたら、今、すかぱで放送されてる藤原ドラマと、ものすごくダブっているように思えた。8年前のドラマだ。当時も親の虐待で命を落としていく子ども達がいたのかどうか、もう私には憶えがない。8年たって現実に行政がなにか手だてを打ってる振りはあるような気がするけど、実際虐待死が減ってるかどうか、8年前よりも私が記事を目にする回数が増えてるように思うのは気のせいではないと思う。
ドラマはフィクションだったはずだ。当時見てなかったから、ドラマがこの先どういう展開をみせるのか私は知らない。そのフィクションであるはずのドラマは、きっと世の中への、なにかのメッセージも込めていたはずだ。
問題提起にもならなかったのだろうか。今ドラマの中で起こってた事が、現実に起こっている。ドラマだから、虚構だから成立していたものが、虚構でなくても起こってしまう現実が、とても現実とは思えない世の中の空気。
夢のような事が現実に起こるだろうと思ってしまう人たちと同じなのだろうか(ブラジルに2点差以上で勝てるって煽ってたマスコミとはしゃいだ様子で向けられたマイクに応えてる人たちとか)。
虚構と現実とのはっきりとした境をなくしてるのは誰?
それは、物事をはっきりと認識する事から本能的に逃げてる自分自身だ。甘やかしを思いやりだと勘違いしていながら、勘違いだと気づいていない人。
ああ、またさらに脱線していきそうだ。今日はこの辺で止めておこう。結局レポも出来ずにPCを閉じる。