よく分からない

知らないよりは知ってる方がいいだろうし、何もしないよりは何かをした方がいいだろうってのはわかる。何をしたらいいのか分からないとか、何もできない事が口惜しいという想いを抱いたりする事はできる。
だから普段は自分ができる範囲の事でできる事をしよういう気持ちから、機会があれば、募金をしたり献血をしたりしている。ゴミもできるだけ捨てないように、残飯として捨ててしまう事はしないように、お風呂の残り湯は洗濯にそんな身の回りの事で、罪滅ぼしではないだろうが、そんな感じでの自己満足をしている。この生活を全てうっちゃって難民キャンプのただ中へ自分の身を投じる勇気も度胸も無鉄砲も私は持ち合わせていないから。それが今の私の分だと思ってるし、自分の幸せをどん欲に求める事も悪い事だとは思わない。誰かの為にわざわざ不幸だと自分が思うような所へ身を置いても、きっと誰も救われないと思う。
野口英世もシュバイツアー(ずれてるか?)も自分が不幸だったとは思ってないような気がする。
日本に生まれた私たちは自分の身を置く環境を選ぶ事のできる幸せがある。たまたまそこに生を受けたからだ。たまたま産まれたところが紛争のまっただ中の人はそこでしか生きられないのだろう。現実の世界では、全部一緒で全部いい感じにはならないから、あの世とか天国とか極楽浄土で、誰もが幸せに暮らせるんだよっていう想いがうまれたんだろうね。

で、今日の毎日新聞記事。

ダルフール紛争 避難民支援活動資金不足深刻に
スーダン西部ダルフール地方の紛争を逃れ、国連キャンプに身を寄せている200万人(なんて凄い数の人たち)以上の国内避難民に対する人道支援活動が深刻な資金不足に陥っている。以下略。

食料配給を一人一日当たり1050㌔カロリーに減らしたり、キャンプの小学校閉鎖したりしなくちゃいけないのが現場の状況だという。国連安保理が国連平和維持部隊の派遣を目指す決議案を採択した、と記事に書いてある。

これを知った。知っても家の野菜をスーダンに送ってあげる事はできない。できない事を知ってるだけだ。それだけだ。

昨日の『アサッテ君(毎日 朝刊4コマ漫画)』。いただき物のケーキを子ども達が寝た後にこっそり食べようと相談する夫婦。それを陰からこっそり見ている息子の吹き出し。”新聞記事になってる「共謀罪」の見出し”。

どうなるんだろうね この先は。
そんな事を想いながらも、 いっちゃうよ 舞台にライブに あちこちと ってね。生きるってそういう事だと思う。だはっ。