そりゃ好きだろうな。

と、昨日かもめ食堂を見た映画館にはってあった寝ずの番の紹介ポスターを読んでいて、ああ、そりゃお母さん好きだろうな、と思った。
なんだか外れた人たちが葬儀で艶歌を歌い上げみんなで馬鹿騒ぎ。落語が好きな人にはたまんないだろうな。日常が非日常に切り替わった瞬間から楽しまなきゃ損でしょ、といわんばかりのドタバタのたたみかけがあるのがびんびん伝わってくる。
落語ってデイライフ・フィクションだよな。昔のサイエンス・フィクション。ハチャメチャで面白いはずです。
と、ここまで書いてこないだのビストロのタモさんのデビュー話を思い出した。筒井康隆とか山下洋輔が気持ち悪いころのタモリがすごいお気に入り*1だったそうですがなんでかなぁ、と思ってたらみんな根底には落語のドタバタを愛する気持ちがあったからなんですねたぶん。みんなジャズ好きで落語好きだけどなにが好きってドタバタなんだろうなぁ。これは同じく落語好きのトキワ荘の漫画家たちにも言えることでしょう。赤塚不二夫然り手塚治虫然り藤子不二夫然り。みんなドタバタドタバタ。
昔の文化人はみんなラジオから聞こえる落語が好きだったからあんなにハチャメチャなものが出来上がったんですね。恐れ入ります。

と言うことでいいのかな、ははうえさま?そうそうへこむことないですよ。人の一生なんて刹那の積みあがったもの。過去は回想するためにあって悔やむためにあるのではないのです。たぶん。

*1:小説にいきなりタモリが出てきてドタバタを演じだす