メモ。

最近読んだ本。
魔女と魔女裁判―集団妄想の歴史 (りぶらりあ選書)『魔女と魔女裁判―集団妄想の歴史』作者クルト・バッシュビッツ, 川端豊彦, 坂井洲二 出版社法政大学出版局

毎年11月に百万遍知恩寺で行われる秋の古書祭りにて2冊1000円で売ってた本。一緒に買った本はなんだったかな?『薬剤と耐性菌』だったかな?
1970年11月に出版されたB6版(より気持ち大きめ)、約500Pの大作。が、これは原著の縮小版のさらにまた縮小版だそう。
私はこの縮縮小版を読むのに約3ヶ月(!)を要したというのにいったい原著を読むとなったらどれだけの時間を用意すればいいのだろうと考えただけでも途方に暮れてしまう。
内容はヨーロッパおよびアメリカにおいて魔女狩り旋風がいかにして集団妄想と言う衆愚なものによって巻き起こったのかを具体例を示し、きわめて冷静、俯瞰的にのべているもので、そこには結論の飛躍や恣意的な誘導などを一切含まず信用に足る資料を基に確固たる自己の信念、魔女裁判は妄想に取り付かれた権力者とそれに疑いの目を向けずについていった愚かな市民によって発展していったという信念、のもとで構成された緻密な文章となっているので、読む側としては読み進めていくだけで筋だった魔女裁判の歴史が学べてしまうというとてもありがたい本。
これを読むと思考が一方向のみになってしまっている集団がいかに怖いかと言うのが如実に分かってきます。
「魔女がいるから魔女裁判があるのではない。魔女裁判があるから魔女がいるのだ。」
この本ので繰り返し語られていることばです。現代社会にいる私たちは誰も魔女がいるなんて思っていません。でも、それは魔女裁判がないからに過ぎないのではないでしょうか。
このITバブルがはじけた現代においても祈祷師やら占い師やら呪術師やらお払い師やらがいっぱいいます。この人たちが大きな被害を私たちに与えないからこそ笑って見過ごせていますがいざ実際に悪い影響を与えられた(様に思い込んだ)時、その考えを笑って見過ごすことができるでしょうか。
「ここにおいてヨーロッパでは、いまや魔女裁判が一件もおこらず(中略)一国が存在することとなった。(中略)ここではもはや一人の魔女もみつけだされることがなく、また一人の魔女も告発されることがなかった。だが、この言葉には謎めいた矛盾が含まれていないであろうか。」


えっと、魔女裁判そのものについての話は長くなってしまうので書きません。もう夜遅いのです。
興味あったら読んでみてください。大変ですけど。