ライフライン

大雪の為に孤立してしまってる集落があるというニュースをやっていた。食べ物の蓄えは生鮮食料以外はあるが、何が困るって、暖房や除雪のための燃料が残り少なくなってることだと言っていた。
今朝起きてきたら、タイマーで炊けているはずのご飯が炊けていない。アラームがパカパカしてる。ガスコンロの火もつかない。こりゃまた成人式前夜*1と同じで、ガスボンベからガスが供給されていないのかと、娘がやったように懐中電灯を持って外へ出た。
小さな電気が点滅してるので、復活ボタンを押して家の中へ戻ってみると、ガスが出るようだ。が、どうも炊飯器の様子がまだおかしい。コンロの火をつけてみると、火がとても小さい。
こりゃ、ガスボンベが空かも?ともう一度外へ出て、ガスボンベを揺すってみると、ガランガランと簡単に動いてしまう。とても中にガスが詰まってる重さではない。
4本も並んでいるのに、どれもこれもガランガランだ。
なんだ!やっぱりガスが空なんじゃん。8日の夜もきっとそれの前兆だったんだろう。ガスやの緊急連絡のよっぱらいおやじめ。こっちも酔っぱらいだけどこっちはお客さんなんだし、素っ裸でものすごく寒い思いをしたんだから、怒ってても当たり前じゃん。緊急の当直当番なんだから、あの時ちゃんと見に来てくれてれば、今朝大慌てをすることはなかったんじゃないか、と、プリプリしながら今朝もガスやの緊急電話へ怒りの籠もった声で電話をした。
メーターを2回も点検に行って、ボンベがガランガランで、だから
「多分、ガスが空ですよね!」と訴えた。
十数分後、ガスボンベが新しいものと交換されて、やっと台所で火が使えるようになった。息子は電気ポットのお湯でカップスープを作って出かけて行ったが、おじいの朝ご飯になるみそ汁は作ることが出来、おじいが起き出してくるまでにご飯は炊きあがった。
我が家にもおじいの畑仕事のお陰で、保存のきく野菜は一冬分くらいある。だけど、火が使えなかったら、食材のままだ。火が使えるってことが有りがたい事なんだと実感した。
今シーズンの冬はとにかく寒い。冷たい。水道の水がとてもとても冷たいので、それを暖めるのにガスが予想以上に必要だったんだろう(ガス代の支払いがコワい)。
暖房も電気が来なければ、灯油があっても暖を取ることが出来ない。灯油も無尽蔵にあるわけじゃないし、陸の孤島と化してまえば補充が出来なくてお終いだ。
水道管も破裂してしまえば、蛇口をひねっても水は出ない。
震災とか水害とかでライフラインを断たれてしまった生活をテレビで見ていただけだったけど、ほんとに大変なんだと、今朝はちょっと考え込んでしまった。
ただ我が家でほんとにそうなった時には、きっとおじいがなんとか生活出来るようにしてくれてるだろうと思う。
だって、自分の大工小屋に山で拾ってきた木の幹をごろごろ持ち込んで、薪割りをしていたくらいだ。あれはきっと自分の小屋の暖を取る薪になったり、焼き肉をする時の炭になったりするんだろう。おじいが元気でいてくれる限り、緊急時にも私たち家族はきっとサバイバル生活を乗りきることができるだろうと確信している。
でもな、今朝の出来事も、都市ガスが来てれば起きなかった出来事だろうな。

*1:自動湯はりスイッチを入れて、湯船にお湯が溜まってる頃合いにお風呂に入ろうと服を脱ぎ、扉を開けたら湯船は空っぽ、アラームがパカパカ