御心ままに

お昼過ぎに里山を拓いて工業団地になっている道路を車で走っていた。
最近はとんと見かけない離れ犬のしっぽがひょんひょんと揺れているのが丁度信号交差点の辺りに見えた。
先の信号が赤なのでそのまま進んでいったら轢かれてしまうので危ないよなぁと心配しながらその揺れるしっぽを見ていたら、赤信号が分かるのかそこで止まっているようだった。
信号が青に変わりその離れ犬の脇を通り過ぎる時に体全体が見えた。
痩せていて白い毛色なのにところどころが赤く透けて見える。きっと病気なのだろう。首輪もしていないけれど、野良犬のようにすさんだ気配はなく、ただ哀しい空気を周りに纏っていた。
私はどうしてあげることも出来ない。頑張るんだよとも声をかけられない。
「御心のままに」という言葉が浮かんだ。家は神道だけれどもとても信仰心があるわけではない。中学からミッションスクールに通ったお陰で、聖書とか讃美歌には親しんだけれど、洗礼を受けて神の子になったわけでもない。
自分ではどうすることも出来ない時には、起こった出来事を自分以外のなにかの力に委ねるという気持ちが湧く。そんな時に「御心のままに」と思う。

義母がガンで亡くなってから義父は毎年必ず健康診断を受けるようになった。
明日肺の再検査のためにレントゲン撮影をことになっている*1。おじいが元気でいてくれることが最大の望みだ。
その日は東京へ出かけてお泊まりなんだけどいい?とおじいに聞いたら、いいよ、と言ってくれた。
誰に祈るということはなくすべては「御心のままに」。そんな心境だ。

*1:昨夜、健康診断を受けた医院からの指示