今時のお子

最近毎晩会う子達が2〜3人いる。お経をあげに行くと必ずその家の孫、0歳児と3歳児のどちらかかもしくは両方と、必ずそこへお経をあげにくる親戚の1年生のお子達だ。
3歳児と1年生は女のお子なので、二人でくっついたり離れたりしながら、30分程のお経の間を自分たちで遊びながら過ごしている。
娘が3歳児、息子が0歳児時にも我が家で亡くなった義母の姉妹達やおやじのいとこ達が毎夜我が家を訪れてくれた。
我が家は神道なので姉妹で一番最初に無くなった義母のためにあげるべきお経がなく、般若心経ならばあげても構わないだろうと皆の相談の上で、忌明けの50日祭まで般若心経を3度ずつあげていた。
娘は多分のその間大人しく座っていて、まだ文字もまともに読めなかったのに、忌明け近くには般若心経を覚えてしまっていた。
ハイハイの盛りだった息子は、皆にかわりばんこに抱かれたり、私の背中に張り付いていたりしていた、ように覚えている。
ずっと以前、小さかった私が祖父の家を訪れている間に、必ずお経をあげている姿を目にしていた。私の家に仏壇も神棚もなかったけれど、小学生だった私は、その時は騒いだりしてはいけないんだろうという空気を感じていた。
大人でも30分間正座をしている事は、ほんのちょっと苦痛だ。だけど、その座っている大人達の間を自由自在に歩き回ったりしても誰も注意をしないのは、何となくこれでいいのか?と気持ちがざらついたりする。いくら小さくても大きい方は小学生だ。小さい方はずっと大人しく座り続ける事が困難だろうとは思うけれども、”座っていようよ”と声をかけて、いつでもどこでも自由気ままに動き回れるものではないと教えるチャンスだと思うんだけどなぁ。
あ、でも葬儀の間はちゃんと座ってたっけ。てことは、私が口うるさいおばさんになってるって事だわね。
きっと私だったら、無理矢理座らせてるわね。どうなんだろうなぁ、どっちがよかったんだろう。