青春の憧憬。

今日はほんとはプールにいってくる予定だったのですがいろいろあって延期になり、ぽっかり空いた休日となってしまっていたのを急に出演依頼がきたので思わず二つ返事で受諾し、久々の撮影に行ってきました。半年振りくらいだ。
鴨川で叫ぶ細っこい学生たち、ガスマスクを被った小でぶと手をつないで歩く背の高い馬鹿女、声のでかいカメラ小僧、ボウリングを楽しむガスマスク男、店員に注意される青年学生たち、そして懲りずに撮影し続ける少年少女。
カメラを持ち、普通の人たちの間をさまよい歩く普通の男女。そこにこそ違和感はあるはず。
私以外はみんな下の学年というところに居心地悪くまぎれてきたのですが、それはそれでなんだか楽しく、そしてちょいと懐かしい気分にもなったり。
一二三回生の頃はこんなことをよくしていたものです。大して楽しくない撮影。でもなんだか行きたくなってしまう撮影。そこには消極的な共同体への意識。積極的な創作への意欲。
そういえば『太陽の塔』に映画サークルの人が出てきていました。それはやはりひとつの学生のシンボル(象徴)なのか。時代の流れはそこにはないようにも思えますが。
純粋に何かを作りたい、と思う気持ちはとても美しいものだな、とそれを持ち続けることができない私は思ったのでありました。
何かを作り出せたら何かが変わる、というのは私の幻想なのでしょうか。作り出せない私の勝手な夢物語なのでしょうか。
私の隣ではテレビの中で宮崎御大が息子さん本人とその映画に対して複雑そうな顔で怒っている。
親子はいろいろと大変だ。社会が関わってくると特に。
何かを作るときは世の中をかえようと思ってつくらなきゃいけないそうです。
ものづくりは大変だ。だけど面白い。のだろうなあ。