釘付け

事態の進捗状況をしりたくて午後はずっとテレビをつけながらちょっとだけデータ入力をしていた。
ずっと同じ画面を映し続けるTVを見ていてちょっと考えてしまった。
たった一人が分けわかんないことをしたために、もの凄い数の人がそれに対応しなくちゃいけない図を肌で感じてきただけに余計に腹立たしく思うが、報道の仕方にも腹が立っていた。
家から現場は車で行くと案外近そうだ。何事にも野次馬気質な私たちが現場へ行ってみようと思うのは無理からぬ事。そこでどんな事が起こっているのかをこの目で確かめたいねと午前中に現場近くまで行ってみた。
思いの外近くて驚いた、上に封鎖していない脇道をゆっくり進んでいったら、いきなり目の前にTVで見ていた光景が現れた。
ああ、これは見物なんかしていてはいけない、さっさと帰ろうと神妙な気持ちになって方向を変えた。その間に何台ものタクシーとすれ違う。住宅街の路地には中継車やタクシーが路駐しまくり。しーーーんと静まりかえっている住宅街を報道関係者(首からネームプレートをかけてる人たち)が車が来ないことをいいことに、道路の真ん中をゆうゆうと歩いている。
現実に起こっていることと、それを映そうとしている人たちの有り様のギャップに腹立たしくも悲しくなった。
自分たちのしたことにも。

これ以上誰一人傷つくことなく(除くはんにん)、本当に早く解決して欲しいと願う。

いつものようにこれ一色の報道の影で沖縄の海でなにやらが起こっている。

たった一人がじゅうを撃っただけであんなにもけいさつの人が集まって対応しなければならない。じゃ戦争ってなったら一人だけがじゅうを持つんじゃないよね。せんそうを知らない私がそんな空気を感じてせんじちゅうの異常さを想像してみた。おかしい。絶対間違っている。あんな日常は人が暮らせるものじゃない。

明日はごろちゃんに会える。
そんな事が当たり前にできる世の中であり続けられるように私は何が出来るんだろうね。

なんて思いながらも、明日は自分の楽しみで胸一杯になるんだろうな。むぅ。