雑感。

今日世界で一番受けたい授業っていう番組を見ていて思ったこと。
かなり主観的で戯言で一方的な価値観の押し付けに不愉快な気分になりかねないので隠します。文章はやっぱり稚拙だし。

最近教育関係の番組がいっぱいやってますね。教育を考えるとか知らないと恥ずかしい常識とか胡散臭さ満点の番組がいっぱい。何ででしょうね。

今どきはゆとり教育の弊害とかなんだかいってエリート教育が注目されていて、そういった教育が受けられる人とそうじゃない人とで教育格差だー、経済格差だー、うんだらかんだら言われてますけど、そんなことつまんないです。


さて、国家の力を上げる手法には、均質的に民度を上げるか局所的に有能な人を育てるかの二通りあると思います。
基本的にはこの二つの間を振り子のように行ったりきたりしながら国の地力を上げるんですが、どちらかの教育形態に偏って振り子がそのときの教育熱という勢いに準じた頂点まで振り切れると、揺り戻しが始まって次はもう一方の教育形態に偏ります。そして振れ幅が激しいほど揺り戻しも大きいわけで、そういったことで今まで一億人総教育の揺り戻しで昨今のエリートブームになってるんでしょう。
で、そのうちある均衡点までいって揺れが収まればいいんですが教育熱って言うのは揺れが小さくなると再び加熱するものなので停まりそうな振り子はつまみ上げられて再び勢いを取り戻すことになる。だからいつまでたっても教育問題のゆれは収斂しなくて極限がない。どっちがいいか、なんて決まりっこない。たとえ計算上、数理学的に一番いい状態と言うものがあっても民意としてそれが認められない。
一番いいのは全員が全員有能なことですけどそんなんは絶対無理なんでどこか妥協点を見つけ出さなきゃいけない。ではそれはなんでしょうか。

私個人の今の考え方として基本的には選民思想に偏っているのでエリート教育はやればいいと思ってます。ゆとりとかは間違い。あれはまやかしです。国民の民度があんまりにも低いと選民の権威の大きさが際立ってしまうのでそれを隠すためのものであり、国際社会への世間体としてこんなににも国民のこと考えてますよ、という意思表示のためのものでしかない。
でも行き過ぎた英才教育はやっぱりよくなくて、あんまりにも偏りすぎると大半の国民の民度はひどいことになって国全体の地力も落ちてしまい、これは国家権威の失墜になるんで駄目です。


となると国家としての理想的な均衡点は有能な人は特に重点的に育て、それ以外の人たちは最低限の教育を与えればいいでしょう。権威が権威として成り立つためには最低限の民度が必要です。夜警国家、具体例で言うと一番近いのはアメリカ合衆国ですね。あの国は極一部の超絶エリートと結構なエリートとその他大多数によってます(私の主観)。現に世界で一番の大国です。
が、これは最大多数の最大幸福と言う点で見ると全くもって駄目ですね。多数派の人たちが不満を多くもつ社会は暮らしよくない。私はアメリカに住みたくない。


力のある国家と住みよい国家は違います。類似点も多いけどけど違う。私としては国家権力よりも暮らしよさを求めるんで上に挙げた理想よりももっと全体の水準を上げるところに寄った点が一番いいんじゃないかな、と思う。でも、あくまでもエリート寄りの所にいる。たぶん一番贅沢な望み。
よくあるじゃないですか、青春スポーツドラマで最初ずば抜けて強い選手がいて俺が強ければいい、お前らは最低限やってくれればいい、とかいってたのが相手チームのチームワークに挫折、結局強い選手がいて周りもレベルを上げたチームが一番いいみたいな話。それです(そうか?)。
エリートにあこがれながらもそれなりに自分の生活もいいや、と思える人が一番多い社会が一番住みよいでしょう。で、エリートは俺ってエリート、とちゃんと自立して思える。これこそ最大多数の最大幸福。なんて住みよいこの社会。


そんなこんなで俺って頭いい、ということをおめーら頭悪いからおれが教育してやらぁというところでしか思えないやつらが作ってるようにしか感じられない最近の教育関連番組が気持ち悪いです。
全部が全部そういうものではないと思うんですけどね。でも自分たちにとって都合のいい情報のみを取り出して構成されたものを、テレビと言う影響力の非常に大きい媒体を介して押し付けている、それを無条件に視聴者が受け入れると思い込んでいる(だろう)ことがいやだ。やだやだ。


とかいうことを考えていたからか、昨日朝まで飲んでたからか頭が痛い。もうすぐ台湾にかなきゃなんないのになあ、だいじょうぶかなあ。