メモ。

最近読んだ本。
ブリュージュはさっき読み終わったばっかです。今日三回目の編集になるからちょっといやだったんですけど、明日から出かけるので先に書いておかないと忘れてしまうので。

失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2)失楽園・上』 ミルトン著 岩波文庫
これの感想は中途半端ですけど以前書いたので割愛。下を読んでからもう一度書く予定。が、行き着け本屋に下がなくてちょっと悲しい。なので小休止中に↓の本を読みました。

死都ブリュージュ (岩波文庫)『死都ブリュージュ』 ローデンバック著 岩波文庫
「(19)世紀末のほの暗い夢のうち生きたベルギーの詩人・小説家ローデンバックが、限りない哀借をこめて描く黄昏の世界(表紙紹介文より、窪田般彌)」。この紹介文と最近めっぽう気になる「ベルギー」の詩人が書いたと言うこと、そして何よりその題、「死都」に惹かれてタイトル買いをしました。
この本、岩波が定期的にやってる一括重版企画の2004年秋の中の一冊。一括重版とはおそらく絶版にも重版にもならず(絶版だと復刊希望が出せるが出版停止だとなんか再刷が難しいっぽい)、宙ぶらりんのままほおっておかれた本たちを一気に重版してしまおじゃないか!という男気溢れる企画。これによって出された本は名作ぞろい、のはず。ちなみに私は他には2002年夏の一括重版で出たゴーティエの『ポンペイ夜話』を持ってます。あと、同じく出版停止で在庫数が少なくなることが予想されいつか高値がつくんじゃないかとわくわくしてたペトロニウスの『サテュリコン』も一括重版されてます。ちょっとがっかり。
さて『死都ブリュージュ』の話題にもどります。
梗概としては妻に先立たれ悲しみの末憂鬱な都ブリュージュに自身を重ねる男やもめがその妻の幻影を愛するあまり、妻に瓜二つの女にその幻影を投影しやがて裏切られ、さらには彼の悲しみの合わせ鏡であった都にさえも背を向けられてしまう、というもの。
でもこの梗概なぞ実はあまり意味がないのです。この物語の主人公は男やもめでも妻似の女でもましてや妻でもなく、死都ブリュージュそのものなのですから。
これは作者のローデンバック自身が冒頭のはしがきにて「この情熱研究の書において、ともかく私はとりわけ一つの「都市」を呼び起こしたいと思った。人々の精神状態と結ばりあい、忠告し、行為を思いとどまらせ、決心させる一人の主要人物のような「都市」を。」と書いてあることから読み取れます。
作者はその言葉通り陰鬱な都市の描写を繰り返し繰り返し男の心理状況と照らし合わせるように物語全体に散りばめ、その姿を読者にまざまざと見せ付けると共に、都市の情景をさらに確実に想像させるための手がかりとして実際のブリュージュの写真という書割を端々に入れています。そのおかげで私たち読者は自分自身を想像の翼でベルギーの一都市へ旅だたせることが出来るようになるのです。
こうした作者の丁寧な心配りによってつむぎだされる世界は紹介文にあるとおり終わることのない黄昏が支配する灰色の都市であり、それに象徴される陰鬱極まりない男の現在未来です。
彼は妻の幻影を愛し、姿が似てるに過ぎない別人にその幻影を投影し思いを寄せるあまり、妻と代替物に過ぎぬ女との差異、貞淑で賢明な妻にはそぐわないようなふしだらで愚鈍なその女の中身に気づかされその幻影を失うことになるのですが、この部分はウェヌス(ヴィーナス)のような肉体、輝くばかりの美貌を持ちながらもその魂があまりの卑俗な恋人に絶望する『未来のイヴ』の青年エドワルドを想起させます。
エドワルドは恋人の卑俗な魂を発明家エディソン(エジソン)によって高邁な魂に入れ替えてもらうのですが、死都における男やもめは彼女を憎みながらもいつの間にか情愛の目的が妻幻影から彼女自身にとすり代わってしまっていたことに気づきもがきながらも溺れていくことになります。そして死都は相も変わらず死の灰をその身の内に湛えながら存在しつつけルのです。そこでは聖者の行進もにぎやかな祭りも見せ掛けの生に過ぎない。すべては死が支配するのみ。

印象に残った言葉を。
「特に町々には、それぞれ一つの人格、自主独立の精神があり、喜びや新たな恋や、断念や寂しいやもめ暮らしと通じ合うような、ほとんど表に現れ出た性格がある。あらゆる都市はひとつの精神状態であって、その都市に滞在するようになると、すぐにこの精神状態は伝播し、大気の色合いと溶けあう液体となって、われわれに感染し、ひろまっていく。」
私にはどんな精神状態が乗り移ってるのだろう。


19世紀末にふさわしい憂鬱な作品。19世紀末(退廃的)芸術が大好きな人間にはたまりません。思わず短い作品にしては長い感想を書いてしまった。
都の細部まで至る至極丁寧な描写はワイルドを、抽象的な概論を述べてから具体的な話に移る部分が多い文章構成はラディゲを、男がどうしようもなく女に溺れていく物語はゾラの『ナナ』を思い起こさせられました。日本では永井荷風がこの作者を気に入っていたようです。

やっぱりベルギー行きたいなぁ。チョコレートがあんま好きじゃなくても行きたいものは行きたいのだ*1。早くしないと行きたくなくなってしまう。

ちなみにあとがきによるとブリュージュの名を世界的に広めたこのローベンバックは当のブリュージュ住民からは大いに嫌われてしまった模様。工業化で再興を図った*2都市によりにもよって「死都」なんてつけやがったな、と総スカンを食らったらしく、ローベンバックの友人が町に銅像を立てようとしたところ市当局の反対にあって沙汰やみとなってしまい、引き受け先になった彼の出身地ガンでなんとか取り付けられたもののいまでは訪れる人もなく雨に打たれてひび割れてしまっているそうです。
悲しい話。ベルギーに行く機会があったら是非見舞っておきたいなぁ。

*1:友達にチョコ好きじゃないならいっても意味なくない?と言われた。違うんだい

*2:一時期はアントワープに押され本当にくらあい町だった様子