昨日の予報では大嵐だったはずの夕方に表へ出たら、台風が予定の進路をそれて行ってしまったせいで、雲間に夕焼け色が所々空に浮かんでいる灰色の空に、大きな虹が架かっていた。
虹を見るといつも思い出すのが、息子が保育園の頃かいた絵と言葉だ(あんまり可愛いので額を買って飾ってる親ばかおやじ)。
「ほくたち3にんでにじをみた」。
虹が出てるよって、夕食途中の息子を呼んで、ふたりでずっと虹を見ていた。足下がはっきりしていただけの虹が、ぼんやり見ている内にどうしてだか繋がって虹の橋がはっきり見えるようになり、うすーーく二重になっていたもう一つの虹もうっすら見えるようになった。
とっっても大きな虹の橋を、ふたりで驚きながら見ていた。

昨日、塾生の高三のお姉さんが亡くなったと連絡が入った。詳しいことは分からないが、急な白血病だったらしい。その娘さんの学校の先生である私の先輩に、お通夜にも葬儀にも出かけられない私たちの気持ちを、届けてもらうことにした。その人を待つために外へ出たら虹を見たのだ。
虹に願いって、流れ星じゃないんだから願いをかけるって変かなぁと思いながらも、その娘さんを亡くしてしまったお家の方たちのために、上手く言葉にできない気持ちを込めてそのお家の人たちの幸せを願った。

「私たち二人で虹を見ていた」だ。

「ほくたちさんにん」は、実は4人で車に乗っていたので、本当ならば”4人で”なのだが、息子には3人に思えたんだろう。
何でだろうねと、聞いてみたら、「その頃お父さんは人気がなかったからじゃない?」って言った。そいえばその頃はよく怒鳴りあったりして、ちょくちょくけんかしてたもんなぁ。
あの頃のけんかがあって今の私たちがある。
でも、子どもたちには悪かったかなぁ。良かったよ、二人ともいい子に育ってくれて。
今確認してきたら、「ほくたち3んにでにじをみてた」って、書いてあった。