今は昔

という程大昔ではないけれど、私が子供の頃はテレビは一家に一台しかないのが普通だった。そしてそのチャンネル権は家長が持っていた。当時我が家では8時からは大人の時間で、自分の見たいものなど見られなくて、NHKだったり時代劇だったりプロ野球だったりした。
中学1年の時、月曜日の朝の電車(名古屋の学校へ電車通学だった)での友人たちの話題は日曜日の8時から放送されていた(という記憶だが)『俺は男だ』の話しでもちきりだったけど、断固として夜8時からは大人の時間と言いはる父親のお陰で、私はその話題の中へ入っていく事が出来なかった。
そんな一家に一台のテレビで家族が同じ番組を見ていた小学生の頃、父親がみていた相撲中継を「おすもうなんてなにがおもしろいんだろう・・」と、ただただ画面を眺めていた。
そのすり込みのお陰だかなんだか、高校生から短大生くらいには相撲中継が好きな番組の一つになっていて、場所が始まるのを楽しみにしていた(友人がもらってきてくれた高見山のサイン色紙はマッチとあのねのねのサインと一緒に嫁入りしてきた)。
その頃覚えた”クンロク大関”って言葉が、なんだかちょっと玄人になった気分で嬉しかったりしたものだ。
貴ノ花、今の二子山親方が亡くなったWSを見ていたら、”力士になって本当に良かった”という本人の声が流れていた。
そうだ、『力士』って最近聞かないような気がする。そういえば『噺家』ってのもあまり聞かない気がする。力士とか噺家って言う方が、横綱だれそれとか落語家だれそれっていうより、粋でその仕事に誇りと自信があふれているような気がする。
最近目にしたり耳したりする言葉は、きちんと言い表してはいるけれど、なにやら中身のない薄っぺらで表面的な言葉なんじゃないかと感じた。
藤原の次回の舞台『天保十二年のシェイクスピア』をスーパー源氏で捜して手に入れて、読み始めた(まだほんの少ししか読んでないけど)。井上ひさしを読むのは20年ぶりくらいだ。こんなに言葉があふれていたっけ?と、驚いた。言葉がページから躍り出てくるよう。
読書脳のリハビリが必要なくらいの勢いで台詞が押し寄せてきて、少し読んだだけで頭の中が疲れてしまった。そいでちょっと休憩中。舞台は秋なのでそれまでには読み終えるつもりでいる。ここ数日頭痛かったのは2日酔いじゃなくて、読書酔いだったのか・・・。
ははっ、そんな事はありません。2日酔いの上に、多分プールで頑張ったお疲れのせいだと思います。
自分の周りに好きな本とかDVDを見られる環境を整えれば、私は石垣島でも住めそうな気がする。海の生物以外は全然違和感ないんだもん。