なにか違う

同じ”栗”の話題なのに、底辺に流れるものがなにか違う(かえるさんの日記)。おじいが拾ってくるのと『すや』のとは、そりゃあ違って当たり前だ。
へろへろしてた昨日も、おじいが「また拾ってきたぞ。一升くらい。」と言う。えらい、えらいを連発してたり、偶然家へ来た友人に栗はもういらんと訴えていたのを聞いていたらしく、遠回しにでも私の気持ちを察していたようで、
「もう、いらん……(ぐったり)」
「ほぉか、ほんならおばあんとこへ持ってってやるか」
そうしてください、お願いです。
栗きんとんも渋皮煮もお金を出して買うものです。あの作業は十分その値段に値するものであると実感した次第でございます。